怪談

【あんなぁ、ママ、今日なぁ】 その9   八木商店著

老婆の瞳の中に現れた母は何も応えてくれなかった。昔は何を訊いてもちゃんと応えてくれたのに。だけど、父のことだけはいくら訊いても何一つ応えてくれなかった。それでも、私はずっと母の言葉を信じていた。母は父を愛していたと信じて疑わなかった。でも、それは母に直接訊いたわけではない。それは私が抱く理想の母の面影だったのかもしれない。本当はお母さんどうだったの?

ねぇ、お母さぁん!

母はもう老婆の瞳の中にはいなかった。私は悲しかった。私に応えたくないから逃げたように思えて、寂しかった。この老婆が言うように、今も父が生きているとしたら。まさか母が私に嘘を? たった一人の娘になぜ? 私に父への想いを絶たせるため? でも、それならなぜ父に会うかもしれないこの町に引っ越したりしたの? わからない。何が正しいの!

 

「そ、それ、本当なの?」

声が震えた。心は寂しさで凍りそうだった。

「あぁあ、父ぢゃんも可哀想になぁ。実の娘に死んだゆわれだら、おがしなるんも仕方ないわい。あんだも、父ぢゃん捨でだあんだの母ぢゃんど一緒じゃ。ログな女じゃないわい!」

母が父を捨てた……

「いい加減なことをいわないで!」

「ほんどのごどやろがな! うぢゃ、父ぢゃんがらじぇんぶ聞いどるで。あんだの母ぢゃんはなぁ、父ぢゃん捨でで男のどごに逃げだんよ。父ぢゃん、酒飲んだらいぃっづもいいよらい。泣ぎながらなぁ、わじの人生を滅茶苦茶にしだあの女を一生怨んじゃる! わじがら娘、あんだのごどよ、あんだを盗んだ女を死んでも許さんげんのぉゆうで、浴びるように酒飲みよる。可哀想ながろげ。酔うでわげわがらんなるまで飲んで、仕舞いに暴れるんじゃげん。こないだも暴れで、ほれ、うぢ蹴られで指折っだんでぇ。痛がっだわい!

鬼の血ぃが流れどるあんだには、父ぢゃんの気持ぢはわがらんわいな。父ぢゃんはなぁ、あんだらぁが逃げでがら相当苦労しだんじゃげん。父ぢゃんの家はこごらじゃ名家やっだろ。ほじゃげん、嫁さんに逃げられだゆうでオバアがえらい怒っでなぁ。跡取りやっだのに恥さらじもんがゆうで家追い出されでしもだ。ほんど、うぢの母ぢゃんに拾でもらわなんだら、今ごろは死んどっだわい。うぢの母ぢゃんなぁ、あんだのお祖父さんどでぎどっだんでぇ。へへへ。下女やっだ母ぢゃんをお祖父さんはえらい可愛いがっでぐれでなぁ。このごどはあんだの父ぢゃんは知らんのよ。父ぢゃん、東京の大学出でがらちいどのあいだ働ぎよっだろ? そのどきあんだの母ぢゃんどええ仲になっで、あんだがでげだんよ。うぢゃ母ぢゃんがら聞いどるげん何でも知っどるで。うぢの母ぢゃんどお祖父さんはなぁ、父ぢゃんがこっぢにおらんどぎにええ仲になっだんよ。ほんででげだんがうぢよ。日野のお祖父さんはうぢの実の父ぢゃんでぇ。よぉ可愛がっでぐれだ!

ええげ、あんだどうぢはなぁ、血ぃ繋がっどんで。父ぢゃんどうぢは腹違いの兄ど妹よ。あんだどまごど一緒よ。へへへ。うぢと父ぢゃんがらでげだまごは、ほれ、血が濃いもんじゃげん、頭がええんよ。学校で習でぎだごどをな、じぇんぶうぢら教えでぐれるんじゃげん。中学校出だら学校の先生になっだらええわい。へへへ。

うぢの母ぢゃんはな、お祖父さんに無花果畑の隅に小さい小屋ごしらえでもろだ。あんだも憶えどろ? こごらは昔無花果畑ばっがしやっだん。それじぇんぶ父ぢゃんどごの、日野のもんやっだろ。ええ、あんだ、知っどっだげ? うぢど母ぢゃんは無花果の番する代わりに、小屋に住ましでもろだんで。畑にはあのクソババアはこなんだげんなぁ。あのオバアは鬼じゃげん! 怖がっだわい! 道で会うでも石投げでぐるんじゃげんのぉ。怖がろがな? ええ、ほんど怖がっだでぇ。へへへ。

あんだの父ぢゃんは一滴も酒飲めんがっだのになぁ。あんだらが逃げでがら朝がら飲むようになっだんで。頭おがしなっだげん、仕事もでぎんようになっでしもだ。国が障害者年金くれよんじゃげどなぁ、貰だらすぐに酒に換えるんでなぁ。うぢもなぁ、まごど二人暮らしゆうごどになっどるげん、国が手当でぐれよんよ。このごどは父ぢゃんには黙っどる。酒に換えられだらいがまいがな。まごだげには貧乏な想いさせれんげんなぁ。へへへ。

うぢの小屋に父ゃんがおるごどはお祖父さんにはこそぉっどゆうどっだ。ほじゃげど、あのクソババアには黙っどっだ。ゆうだら大ごどよ! あのオバアのごどじゃげん、包丁振りがざじで殺じにぐるがもしれまいがな。うぢの母ぢゃんは賢い人やっだんでぇ。父ぢゃんの面倒精出しで看だんじゃげんな。ほんどえらいわい。お祖父さんがら月に三〇万もらいよっだど。母ぢゃんなぁ、お祖父さんがら金貰だらすぐにバヂンゴ行きよっだわい。上手かったんでぇ。負けんのじゃげん。うぢの好きなもんよお買うでぐれだ。あんだの母ぢゃんと違で優しがっだわい。

うぢが中学校卒業する年になぁ、あのイケズのオバア死んでなぁ、これで母ぢゃんもオバア気にせんどお祖父さんに会える思どっだらよ、あんだ、今度はお祖父さんがポッグリ逝ってしもでなぁ。アリャリャ思いよっだら、うぢの母ちゃんまで死んでしもだがな。母ぢゃんなぁ、交通事故で死んだんで。バヂンゴ行きよる途中でよ。あんだ、人が車に轢がれどん見だごどあるぅ? 母ぢゃんなぁ、ダンプに踏まれだんで。警察に呼ばれでなぁ、うぢ、見に行っだんよ。ほんならなぁ、あんだ、もう身ぃも何ものうて、きれえにペッダンゴじゃっだ。顔も手も足も、腹の中のもんもじぇんぶそごら中に広げでじもでなぁ、なんもがんもぐちゃぐちゃよ。ダンブに踏まれたらあんだ、すぐにペッダンゴじゃけんなぁ。へへへ。ほじゃげん誰かわがらまいがな。うぢ、なぁんも悲しながっだ。ダンブのダイヤになぁ、母ぢゃんの帽子が引っががっどっだんよ。ほれで母ぢゃんじゃろうゆうごどになっだ。

その日がら母ぢゃん帰ってごんがっだわい。いづまで待っでも帰っでごんがっだ。聖人様に連れられで逝っだんじゃわい。母ぢゃんも熱心に拝みよっだげんなぁ。うぢもまごも熱心に拝みよるんでぇ。えらがろう? あんだも聖人様拝みよん?」

「わたし、宗教には興味ありませんから!」

「母ぢゃんがいいよっだわい。聖人様拝まんもんは、バチ喰ろで早よ死ぬんじゃげん。あんだも早よ死ない。早よ死にだながっだらうぢにいいな。ちいど金かがるげど、早よ死にだながろ?」

「あのぉ、宗教の勧誘ですか?」

私は宗教は家庭に崩壊を招く入り口だと思っている。愛とたった二人だけの生活を思想なんかで裂かれたくはなかった。

「なんでぇ、そのかんゆうで?」

「はい? あ、あの、勧誘って……」

勧誘の意味も知らないなんて? 私はどう応えてよいのか返す言葉がなかった。

「ほじゃげど、生きどっだりしでなぁ。ひひひ。ええ、あんだ、どう思うで? 母ぢゃんもあんだの母ぢゃんみだいに男作っで逃げどっだりしでな。ひひひ。ほじゃけど、それはないわい。もし逃げるんなら、うぢも連れていぐはずよ。母ぢゃん、うぢのごと好きやっだげんなぁ。よおいいよっだわい。嬢や、嬢や! あんだはべっびんじゃげん、おがしな男が寄っでぎでも相手にせられんで! 大きなっだら金持ちに貰でもらいよ! ゆうで可愛がっでぐれよっだ。

ほじゃげん、うぢ置いて逃げたりせまいがな。あれは母ぢゃんやっだんよ。母ぢゃんも可哀想な人やったなあ……。うぢと父ぢゃんがええ仲になったんも、皆んなが死んでがらよ。母ぢゃんが死んだ後、父ぢゃんの世話をうぢ一人がじぇんぶしだんで。えらがろう? 母ぢゃんがらゆわれどっだげんなぁ。母ぢゃんが死んだら、あんだ、兄ぃぢゃんの面倒看んどいかんでぇ! ゆうでいいよっだわい。ああ、ほうじゃほうじゃ、母ぢゃんが生ぎどるどぎは父ぢゃんじゃのうで、兄ぃぢゃん、兄ぃぢゃんいいよっだわい。やぁ、あんだ、懐かしいでやぁ……。

ほじゃけん、うぢ看だんよ。えらがろう。母ぢゃんがいいよっだわい。兄ぃぢゃんに可愛がってもらいよぉ、可愛がっでもろでちいどでも財産貰いよぉゆうで。お祖父さん死んだげん三〇万貰えんなっだろ。あのオバアはそのごど知だんし、それにあんだ、財産管理しどるハゲがゲヂじゃげんなぁ。ほじゃげんうぢも働いだんよ。今は朝早よがら新聞配りよんで。父ぢゃんの酒代稼がないがまいがな。まご生まれる前はなぁ、昼間畑に出で、夜はホズデスしだんでぇ。寝る間も惜しんで働いだげん、身体悪しでなぁ。ほれ、これ見どうみや、うぢの顔真っ黒やろ? お医者さんに診せてももう治らんゆわれだわい。へへへ。

うぢの顔見てまごがゆうんじゃげ。なぁ、母ぢゃん! 母ぢゃん、まごのクソ食いよっだげんそんなになっだんげ? そうゆうでなぁ。あのごにゆうでもまだわがらまいがな。ほじゃげん、ほうよほうよゆうで聞かせるんよ。うぢ、父ぢゃん以外の男は嫌じゃ! 色の黒うなっだうぢを可愛がっでぐれだんは父ぢゃんだげじゃっだ。病院の先生も嫌じゃっだ。皆んなぁ、スゲベよ。あんだ知っどるぅ? 男はなぁ、皆んなぁスゲベでぇ。

父ぢゃん、あんだの母ぢゃんとまだ別れでながろ? 日野のオバアが籍抜かさなんだんじゃげん! うぢもまごも籍に入れでもろでないげど、日野の血ぃが半分入っどんやげんなぁ。財産貰でもよがろ? 日野の鬼ババアはゲヂやっだげん、財産の管理はじぇんぶあのオバアがしどっだんで。あんだ知どる? あのオバアな、後入りで。父ぢゃんのほんどの母ぢゃんは早ように死んだんじゃど。うぢの死んだ祖母ぢゃんがいいよっだわい。ほれでお祖父さん、あのオバア嫁に貰だんやど。あのオバアは父ぢゃんのごど一ぉつも可愛がらんがっだど。死んだ祖母ぢゃんがいいよっだわい。あの日野のオバアなぁ、日野に嫁ぐ前に子ぉ作っどっだんでぇ。一四か五で孕んだそうじゃわい。誰どでげどっだんが祖母ぢゃんはゆわなんだげど、うぢゃアイツじゃど思どんよ」

父が日野のおばあちゃんと血が繋がってなかったなんて。日野のおばあちゃんは私をとても大切にしてくれた。

「あのオバアなぁ、先代のお祖父さんどお祖母さんが死んで、代が日野のお祖父さんに替わっだどぎによ、弁護士に頼んで財産管理ずるようになっだんやど。その頃に駅前に弁護士が事務所建ででなぁ。長いこと東京でやりよっだやり手じゃゆう噂じゃわい。オバアもちゃっがりしどろがな。ほんで死ぬ間際に遺言書いであの弁護士に渡しだんでぇ。ほじゃげん今はあの弁護士が管理しどんでなぁ、うぢらはえらい迷惑しどんよ。あんだ知だんげぇ? 駅前の後藤ゆう弁護士がおろがな。あのハゲのクソジジイよ。

ほうよ、あんだらぁが父ぢゃん捨でで逃げだんもその頃やっだわい。うぢゃ憶えどるで。あんなぁ、うぢ思うんじゃげどなぁ、日野のオバアど、あのハゲはでげどっだんじゃながろがぁ……? 多分、日野に嫁ぐ前、あのハゲどでげっどっだんじゃわい。あのオバアがようハゲの事務所に入りよん見だごどあるじなぁ。あのハゲは独りもんやっだげん、怪しがろがな。なぁ、あんだもそう思わんげ? 早よ死にゃええのにの、まだ生ぎどんやがな」

 

 

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八木商店

コメディー、ファンタジー、ミステリー、怪談といった、日常にふと現れる非日常をメインに創作小説を描いてます。 現在、来年出版の実話怪談を執筆しております。 2020年(株)平成プロジェクト主催「美濃・飛騨から世界へ! 映像企画」にて八木商店著【男神】入選。入選後、YouTube朗読で人気を博し、2023年映画化決定。2024年、八木商店著【男神】が(株)平成プロジェクトにより、愛知県日進市と、東京のスタジオにて撮影開始。いよいよ、世界に向けての映画化撮影がスタートします。どうぞ皆様からの応援よろしくお願い致します。 現在、当サイトにて掲載中の【 㥯 《オン》すぐそこにある闇 】は、2001年に【 菩薩(ボーディサットゥバ) あなたは行をしてますか 】のタイトルで『角川書店主催、第9回日本ホラー小説大賞』(長編部門)にて一次選考通過、その後、アレンジを加え、タイトルも【 㥯 《オン》すぐそこにある闇 】に改め、エブリスタ小説大賞2020『竹書房 最恐小説大賞』にて最恐長編賞、優秀作品に選ばれました。かなりの長編作品ですので、お時間ある方はお付き合いください。 また、同じく現在掲載中の【 一戸建て 】は、2004年『角川書店主催、第11回日本ホラー小説大賞』(長編部門)にて一次選考通過した作品です。

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