怪談

【魔除けしたのに】 その⑦ 八木商店著

視界は真っ暗闇の中、ヘッドライトに照らされた部分だけに限られていた。道路をつくるために削られた岩肌剥き出しの壁は痛々しく、かさぶたのように見えなくもない。山は傷を負っている。人間が自分の都合のために山をえぐった証を、今真横に見ながら走っているのだと思うと、山の神の祟りに触れるのではないかと恐ろしいことを考えてしまう。それ以前に、ヘッドライトに照らされる度に浮かび上がる草木の陰の向こうから、事故で命を落とした者たちがこちらをじっと観察しているような気がして嫌だった。

「エンゲイジリングを嵌めるための左手の薬指がないために、結婚できないと思い込んだ女が、夜な夜な通り魔のように若い女を襲い、自分に合う薬指を探していく話。

女は決して人を殺しはしない。薬指を鋭利な刃物で根元からえぐって、その場を立ち去るだけ。女に薬指を奪われた被害者の中には結婚式間近な者もいた。しかし、リングを嵌めるための大切な薬指がないことに絶望感を抱き、幸せが遠のいて行くような恐怖感に襲われる。

被害妄想に駆られる中、無意識の内にその女も自分から薬指をえぐり取っていったあの女のような行動に走ってしまう。薬指を失った女たちは次から次へと幸せそうな女を襲い、薬指だけを奪っていく。でも絶対に殺したりはしない」

声を潜めた真理の語りが終わる頃、二人の乗った車はダムを見下ろす展望台に到着した。展望台には広い駐車場があった。しかし、二人がやってきたときは他に一台も見つけることはできなかった。由美子は車を無造作に停めたがエンジンはかけたままにしておいた。エンジン音が山奥の不気味な静けさを消してくれていたので、どうしても無音にはしたくなかった。

「着いたよ。どうする、外に出てみる?」

由美子はようやく隣りに座っている真理に振り向くことができた。真理は無言のまま、首を横に振っている。

「そうやね。外寒いもんね」

由美子は山の黒い陰に怯える恐怖心を振り払うかのように、努めて陽気に言った。

「わたしな。薬指を探してる女の気持ちがわかるんよね…」

真理の声はどこか淋しさを漂わせていた。

「それはわたしもよ。多分当事者ならそんな狂気なことでも正当化されて、実行してしまうんやと思うわ」

この話を短大一年の夏友人から聞いたときは、単純に恐い話の一つとしてさほど取り止めて深く考えることはなかった。でも、結婚して娘もいる生活を考えると、幸せを渇望した薬指を探す女の気持ちがわからないでもなかった。

作り話とは言え、女がした行為は猟奇的でとても正気の沙汰とは思えない。自分を不幸だと思い込み、幸せそうな他人から強引にその幸せの一部を奪い取ろうとするのは許されないことだろう。しかし、それは当事者になればそんな奇麗事は言えないはず。お払いに行こうと言い出した邦明は、薬指を探す女だったんだわ。合理的な彼が突然別人になったように、普段口にしないことを真剣な顔で言い出したんだもの。由美子はヘッドライトがぼうっと照らすダムの湖面を見つめながら思いを巡らせていた。

「多分、このちょっと先やと思うんよね」

不意に真理が囁いた。

「左腕のない奥さんの遺体が見つかったのは」

真理は目を細めて一点を見つめている。その表情は複雑な思いを隠しているように見えた。

「じゃあ、この辺りは野犬がうろうろしてるんやね。外には出ん方がいいね」

由美子は辺りを見渡して野犬の陰がいないか探した。一通り360度見渡したが、野犬の姿は見当たらなかった。

「わたしな。実はな、由美子に話してないことがあるんよ」

真理はフロントガラス越しに見える外の闇を見つめたまま、由美子に振り向こうともしない。

「何?」

「さっきホテルで、彼から指輪貰ったって言うたやろ」

「うん」

「ほんとはそれ、彼の奥さんからやったんよ」

一瞬由美子は驚いた。真理は静かなままでいる。

不要になった指輪を旦那の会社の女性社員にあげた? もしも邦明の会社の女に指輪を下さいと言われたらどうだろう? 由美子はしばらく考えた。自分が買った物で不要になったイミテーションの指輪ならあげられるかもしれない。でも、やっぱり指輪にはいろいろな想いが刻み込まれてると思うからあげないかもな。ましてや彼から貰った物なら、本物も偽者も問わず絶対にあげないだろう。奥さんは私とは違うタイプの人なのね。きっと。真理が言うように本当に優しくていい人だったんだわ。

「そうなんや。いい人やったんやね。じゃあ、真理が奥さんから貰った指輪は、或る意味奥さんの形見の品になったんやね」

「そう。或る意味ね」

真理は静かな口調で言い、ピンと指を伸ばした左手を、顔の前でゆらゆらさせながら話をつづけた。薬指に光るリングが暗闇にもはっきり輝きを放っている。

「あの日、奥さんの車でここまできたんよね。午後9時を少し回ったくらいやったかな? 辺りはすっかり真っ暗でね。今日みたいに他に一台も車なかったよ。

わたし去年事故してね。命に別状はなかったんやけど、大事な物をなくしてしまってね。ほら」

そう言って真理は左手を突き出した。

「わかる?」

左手を差し出された瞬間、背筋を冷たい物で撫でられたような感触を覚えた。そして咄嗟に薬指の付け根を凝視した。暗い中では嵌められたリングの仄かな輝きにその部分がぼやかされて、はっきりと見て取れない。由美子は突然押し寄せてきた恐怖心に、こめかみが強い力で無理矢理押さえつけられたような圧迫感を覚えた。喉が星座を映し出した冬の空のように渇ききっている。由美子は無理矢理に溜まっていない唾を飲み込んで、怯えた声を漏らした。

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八木商店

コメディー、ファンタジー、ミステリー、怪談といった、日常にふと現れる非日常をメインに創作小説を描いてます。 現在、来年出版の実話怪談を執筆しております。 2020年(株)平成プロジェクト主催「美濃・飛騨から世界へ! 映像企画」にて八木商店著【男神】入選。入選後、YouTube朗読で人気を博し、2023年映画化決定。2024年、八木商店著【男神】が(株)平成プロジェクトにより、愛知県日進市と、東京のスタジオにて撮影開始。いよいよ、世界に向けての映画化撮影がスタートします。どうぞ皆様からの応援よろしくお願い致します。 現在、当サイトにて掲載中の【 㥯 《オン》すぐそこにある闇 】は、2001年に【 菩薩(ボーディサットゥバ) あなたは行をしてますか 】のタイトルで『角川書店主催、第9回日本ホラー小説大賞』(長編部門)にて一次選考通過、その後、アレンジを加え、タイトルも【 㥯 《オン》すぐそこにある闇 】に改め、エブリスタ小説大賞2020『竹書房 最恐小説大賞』にて最恐長編賞、優秀作品に選ばれました。かなりの長編作品ですので、お時間ある方はお付き合いください。 また、同じく現在掲載中の【 一戸建て 】は、2004年『角川書店主催、第11回日本ホラー小説大賞』(長編部門)にて一次選考通過した作品です。

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