二年生の中から怪訝な声が飛んだ。それに対して、
「ネットや雑誌に全ての情報が載っているわけじゃないだろ」と三年生の水野一郎が口を挟んだ。
「佐田岬なら先輩も文句いわんだろ?」
と、水野が調子の良いことを言って井上を見た。水野の話振りからして合宿先はどこでもいいような感じを受けた。それよりもこのミーティングを早く終わらせたいという気持ちが露呈しているようにすら思えた。井上にしても一刻も早く合宿先を決めて、胃潰瘍になり兼ねない焦りの日々から解放されたい想いで一杯だった。そこで部員たちに意見を伺ってみることにした。それで反対する者がいなければ、すぐにその民宿に予約を入れて今日からゆっくりと眠ることができるようになるのだ。そう思うと逸る気持ちを抑えることができなかった。
「じゃあ、加藤の知ってるそこでいいかな? 誰か反対の者?」
井上は反対者がいないことを祈りながら見渡した。道場内には再び自動車の騒音しか聞こえなくなった。挙手の手はなかった。
「よし! じゃあ、そいつで決まり」
と、ほっと胸を撫で下ろしたそのときだった。
「押忍、先輩! 俺は止めたほうがいいと思います」
不思議なことにそう言って立ち上がったのは加藤だった。加藤の発言に静まり返っていた道場が一瞬にして騒然となった。誰もが加藤を怪訝な目で睨み付けている。部員の誰もがようやく合宿先が決まったことで安堵感に浸ることができると思っていたのに、それに水を差したのが民宿を紹介した加藤だったことに一気に苛立たしさを募らせてしまったのだ。騒然とする道場を鎮めるように井上は加藤にその理由を問いただした。
「押忍! いや実は自分が紹介したのに賛成しなかったのには理由があって、ちょっと嫌なことがあったものですから」
加藤は理由を口にするのも疎ましいようでもじもじするだけだったのだ。
「ちゃんとその理由を聞かないと皆んな納得できないだろ!」
と三年生から厳しい声が飛んできた。先輩の怒りを含んだ口調に物おじした加藤は話したくても言葉が上手く発音できないようだった。井上はそんな加藤の気持ちを汲み取り宥めるように優しい口調で皆にわかるように理由を話すように促したのだ。
「押忍! 去年のことです。紹介した民宿は実家の近所に住んでいた幼馴染から教えてもらったんです。去年の夏四国一周を一人旅したとき無茶苦茶安い民宿に泊まったって。それでどこだって訊いたら佐田岬にある村里だって言いました。そこは四方の内三方を高い山に囲まれていて西に小さな海岸があって、昼間は東、南、北と高い山で囲まれてるせいかもその一帯山の影に覆われて物凄く暗かったそうなんです。夕方、日が西の空に現れた頃になってやっとその一時だけ夕日に村里全体が赤く映し出されたそうなんですけどね、すぐに夜の闇に包まれて真っ暗になってしまったって言ってました。そこには民家が数件あるくらいで、海水浴にきた客の姿もなくとても静かだったと。一泊二千円の割りには民宿の料理は申し分なく、いやそれ以上に愉しませてくれたそうです。宿はその村にはそこ一件だけなんだそうですけどね。突然話は換わりますが、友達がその民宿に泊まったときその店の主人から変なことをいわれたそうなんです」
そこまで話して加藤は深く呼吸を大きく二回して気持ちを整えた。道場内には静かに語る加藤の声と外の自動車の行き交う音が奇妙な調和を取っていた。一同は淡々と語る加藤の声に耳を傾けて次の言葉を待っていた。
「民宿に到着するなり主人から、『ここにあるもんはなんもうつさんといてくださいね』といわれたそうです。友達はその言葉の意味がよく理解できなかったそうなんですけどね。うつさんといてくださいねって、どういう意味だと思います?」
加藤の問い掛けに一同は隣の者と顔を見合わせながら何やら考えを巡らせはじめた。
「うつさんとは自然にある物をそのままの状態に保って場所を移動させないでくれってことなんじゃないか?」
「恐らく相当小さな集落のようだからなあ。昔からの民間伝承で自然の物には無闇に移動させてはならないって古い言い伝えがあるんじゃないか」
三年生の二人が適当なことを述べた後、井上が加藤にそれで正しいのか訊ねてみた。
「わかりません。済みません。押忍! 友達も本当の意味はわかりませんでした。押忍!」
一同はこの加藤の言葉に呆気を取られ、しばらくつづいた緊張を一気に解いて誰の口からともなく出たブーイングが道場内に飛び交った。しかし、加藤はそんな部員たちを無視するかのように淡々と話をつづけた。
「友達は俺にそこで写した写真を見せてくれたんです。デジカメで撮ったものをメールで送ってくれたんです。画像が添付されたメールには奇妙なことが書いてありました」
「何て?」
「件名には、変なんだって。そして本文には短く、写真がちがってるって。俺は直ぐにメールを返しました。写真がちがうってどういうことなんだって」
淡々と語る加藤に引きつけられたのか一同の意識はすべて加藤の声に傾けられていた。四時限目の授業の開始を知らせる鐘の音がそのとき道場にも流れ込んだが、誰もその場から立ち上がろうとする者はいなかった。
「おい、まさか心霊写真が写っていたんじゃないだろうな!」
二年生の一人が引きつった顔で訊ねた。強がった口調で訊ねたもののその表情は忌み知れない物に怯える心を映し出していた。
「心霊写真? それって写るはずのない物、もしくはあるはずのない物が写った写真ってことか?」と加藤がその二年生に訊き返した。
「多分」
二年生の男は自信なさげに応えた。井上をはじめとする三年生たちも加藤の話にそれぞれに不気味な想像を巡らせていた。
「残念だけどそうじゃないよ。俺もそれかと思ってメールしたんだけど、そうじゃなかったみたいなんだ」
加藤は口元に笑み浮かべてそう言った。
「じゃあ、何が変だったんだ?」
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