三年生の一人が業を煮やして声を荒げた。
「押忍! 写ってなかったそうなんです。写ってないといっても撮った写真全面に何も写ってなかったというのではなく、一緒に撮った村里の人の姿が写ってなかったそうなんです。友達は写真から消えたにちがいないって奇怪しなことをいってましたけどね。変な話でしょ」
加藤の話を固唾を呑んで聞いていた部員たちにも、加藤が見たという写真が奇怪しいということは理解できた。しかし実際にその写真を見ない部員たちにはリアルにイメージすることはできなかった。
「何だ、変ってそんなことだったのか。それって単なる友達の思い過ごしだったんじゃないのか? 一緒に撮った人が写ってないなんてなあ。それは勘違いだよ。一緒に撮ったつもりになってたって」
三年生の男がほっとした顔で加藤を見ずに部員たちに向かって言った。
「いえ、そうじゃ」と加藤が言いかけたところで、「もう時間もないことだからその安い民宿に決めていいだろ。なっ、井上!」とその三年生の男は立ち上がりながらそう言って、そのまま断りもなく一人勝手に道場から出て行った。
井上や他の部員たちもその勝手な振る舞いに腹立たしさを覚えたが、取り敢えず井上は部員たちの一人一人の顔を一通り眺めて反対者がいないのを確認した上で、「それでは合宿先は加藤お薦めのとこということで決定! では解散! ええと加藤にはその民宿の連絡先を教えてもらいたいからちょっと残って」と言って道場から一同を退出させた。
部員たちが去った後、井上と加藤の二人を残した道場内は再び静寂に満たされた。井上はペンとノートを鞄から取り出すと、加藤にその民宿の連絡先を確認しようとした。しかし、加藤はやはり気が進まないと言って頑に宿泊先の変更を言い求めた。加藤の気持ちが理解できないでいた井上は加藤の申し入れには一切応えようとしなかった。井上は一刻も早く今の状況から逃れたい気持ちで一杯だった。観光客がいないとは言っても合宿予定日に先客がある可能性は十分にあったのだ。もしも先客がある場合はまたどこか四年生の要望に叶った場所を探さなくてはならなくなる。何としてもその民宿でけりを付けたい想いで一杯だった。
「押忍、先輩! 絶対止めたほうがいいですって! 俺の話が終わらない内に皆んな出て行ったけど、友達はあれ以来アイツじゃなくなったんですから」
加藤の目は真剣に警告を訴えていた。加藤の怯えた顔が井上の心に一抹の不安を過ぎらせた。そこで井上は取り敢えず加藤の話を最後まで聞いてみることにしたのだ。
「おまえの友達がどうしたっていうんだ?」
「アイツはそこを訪れた記念に石を持って帰ったんです。砂浜で見つけたピンク色の大人の親指の先程の石です。見せてもらいましたけど絶対に触らせてはくれませんでした。本当に不思議な石でした。ピンク色の光沢を放ってどことなく見様によっては向こうが透けて見えるような、ガラスまではいかないけどちょっとした宝石のようにも見えました。彼は来る日も来る日もその石をまるで宝物のように大切に握り絞めていたんです。彼は真剣にその石を我が子のように可愛がっていましたん。不気味でした。たまに話しかけたりもしてましたからね」
井上はピンク色の石を思い浮かべた。ピンク色の石を拾ったことで加藤の友達は奇怪しくなったみたいだけど、その石には何か因縁めいた物があったんじゃないのか? 例えばそれは所謂祟りとか? でも、石を拾わなければ加藤の友達は奇怪しくならなかったんじゃないのか? なら、そのピンク色の石に触れなければ何も起こらないってことだよなあ。
井上は合宿先を変更するほどのことではないと思った。加藤の友達が石を拾ったことで奇怪しくなったという話もよくよく考えてみれば、その石に原因があるとは思えなかったからだ。加藤の友達が奇怪しな行動をとるようになったのが、その村里を訪れたからと一概にそう決めつけるのもそもそも変な話に思えた。
「おまえの友達が奇怪しくなったのは何もそこへ行ったからじゃないよ。他に何か原因があったんだ。兎に角もう他の連中もそこでいいっていってるんだし、変更するわけにはいかないよ。で、その二千円の民宿の名前は?」
井上は加藤の心配を余所に事務的に民宿の名前を訊き出すと早速電話帳で番号を探し出して問い合わせた。電話に出たのは女だった。声の感じからして四十代前半のような気がする。語尾を延ばしたイントネーションで訛りが強いのが印象的だった。井上は合宿予定日に部員二八人が宿泊できる部屋が空いているか先ず訊ねた。すると幸運にもその日は部屋が空いているという答えが返ってきた。そして宿泊料金を確認したところ、これまた加藤の言ったとおり一泊二食付きで二千円と返ってきて更にはそれは消費税込みの料金ということも判明した。電話口から答えが返ってくる度に井上は心の中で「よし!」と大きな声で喝采の雄叫びを挙げた。
そんな井上の何の躊躇いもなく民宿に予約を入れる姿に、加藤は不安な眼差しを向けていた。正直、加藤は合宿に参加することを辞退しようとも考えた。しかし、今回の夏合宿は全員参加が絶対の決まりであり、さぼるようなことでもあれば他の部員たちに連帯責任が課されることになっていたのだ。加藤はもう引き返せない状況に立たされていた。
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