怪談

『㥯(オン)すぐそこにある闇』第4節-3

「なあなあ、井上、あの部屋って開かずの間だよな?」

 

水野が小声で誰にも聞こえないように井上の耳元で囁いた。あかずのま? 井上にはその意味がわからなかった。

 

「そうだな!」

 

訊かれた意味もわからないのに自信満々に井上は返した。途端に水野は顔を引きつらせると、

 

「マジかよぉ!」

 

と、弱気な声を漏らして辺りをキョロキョロ警戒して見渡した。井上には何故水野がそんな行動をするのかわからなかった。

 

部屋は男性四部屋、女性二部屋に分けられ、東に面した南の奥の部屋が四年生の男子、そして開かずの間を挟んで北側の部屋が三年男子、L字の角を曲がって階段を挟んだ東側から三、四年女子、一、二年女子、一年男子、二年男子とそれぞれ部屋が分けられた。

 

それぞれが与えられた部屋に姿を消し、井上も割り当てられた部屋に入った。観音開きの扉を開けた途端、ツンと饐えた匂いが鼻を衝いてきた。向かって正面から大きな古い窓が目に飛び込んできた。部屋の中央には小さなちゃぶ台が置かれている。右手に押入れのふすま越しに床の間が見え、覗き込むと壁には羽を広げた鶴が描かれた掛け軸が掛けられ、ススキの穂が細長の花瓶に活けられていた。部屋の北側は一面手垢やヤニに黄ばんだ壁で、凭れることが拒まれるほどだった。畳はもう何年も取り替えてないのだろう、畳一面に茶色の染みが絵柄のように付いている。中が腐っているのか足の裏が畳の表面に埋もれる感触が妙に気持ち悪い。黒光りする柱と裸電球を吊るした天井の梁は時代を感じさせているが、レトロと言うよりは薄汚かった。天井は高く、梁の向こうは光が届かず濃い影にぼやけていた。

 

井上は一先ず荷物を下ろすと朽ちた畳の上に大の字に寝ころがった。すると、先程から不安気に部屋の中に目を配らせていた水野が、部屋の中を何やら突きはじめた。床の間の前で、「こういうところが一番怪しいんだよな」とぶつぶつ呟くと、掛け軸や花瓶をずらしはじめた。

 

何してんだ? ぶつぶつ独り言なんか言って落ち着かねえ野郎だなぁ。

 

水野の奇妙な行動に不審を抱いた井上は訊ねた。

 

「おい、水野。おまえ、さっきから何してんの?」

 

「ちょっとなぁ、あると嫌だから、ないことを祈りながら調べてる」

 

井上には水野の行動が理解できなかった。そこで佐々木にも訊ねてみたところ。

 

「盗聴器でも探してんじゃないか?」

 

佐々木の返答は滑稽だった。どうしてそんな物が仕掛けられてんだ? と、尚も井上は不審に思いながらも、常に冷静な佐々木の言うことだからそうなのかもしれないと思い、わかったような振りをした。

 

「おーい、水野。盗聴器見つかったか?」

 

井上は畳の上をゴロゴロ転がり、水野に近づきながら訊ねた。

 

「えっ、盗聴器って? なんでそんなもんがこの部屋に仕掛けられてんだ?」

 

一瞬驚いたものの、作業の手を休ませることなく水野は応えた。水野の驚いた姿に井上は首を傾げた。

 

佐々木の答えはハズレだったようだ。しかし、奇怪しいなあ? 水野は一体何を調べてるんだ?

 

井上がそうこう考えを巡らせているあいだ、水野は「掛け軸の裏、よし! 花瓶の下、よし!」と号令を掛けながら点検を済ませていった。そして、「最後はここだ」と言って、押入れを開けて中から布団を全部引っ張り出しはじめた。流石に理解の及ばない水野のこの行動に度肝を抜かれた井上は、「おいおい、何を調べてんのか知らんけど、ちょっとやり過ぎじゃない?」と言ったが、水野は井上の注意にも耳を貸さず布団を全部畳の上に投げ出してしまった。そして、押入れの中に入って、「押入れ、よーし!」と号令を叫ぶと、満足した顔で出てきた。安堵感から頬が弛んだ水野の顔は不気味に見えた。

 

「水野、布団ちゃんと片付けとけよ!」

 

呆れて佐々木が注意した。

 

「ああ、悪いわるい、ちゃんとやっとくよ」

 

悪気なくそう返す水野を井上は呆気に取られて見ていた。

 

ところでコイツは結局のところ何がしたかったんだ?

 

井上の水野に抱いた疑問はまだ解決されてなかった。井上のそんな気持ちを察してか、佐々木が水野に訊ねた。

 

「おまえ何調べてたんだ?」

 

「御札だよ」

 

「御札?」

 

「ああ。幽霊が出る旅館の部屋には御札が貼られてあるそうじゃない」

 

「ああ、確かになぁ。そんな話、聞いたことあるよ」

 

「この部屋には御札は見当たらなかったけど、まさか…、壁の中に塗り込まれているとか? ま、それは冗談としてこの民宿は何か出そうじゃないか?」

 

「そうだなぁ」

 

「隣の部屋なんて無茶苦茶怪しいよな。この部屋には御札がなかったから安心だけど、案外先輩の部屋にはそこら中に貼られてるかもしれないぞ」

 

水野はワクワクしながら楽しそうに話していた。そんな水野を見て井上は思った。

 

御札くらいで何ビビってんだよ! 御札なんて坊主や神主が小遣い稼ぎに落書きした紙切れじゃねえか。水野は御札でお化けが出るとか出ないとか思ってるみたいだけど、お化けなんて滅多にお目にかかれるもんじゃねえからなぁ、遇えるものなら見てみてえもんだよ。この民宿の雰囲気が不気味だからといって、空手マンならビビってんじゃねえよ! 修行が足りねえな!

 

 

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八木商店

コメディー、ファンタジー、ミステリー、怪談といった、日常にふと現れる非日常をメインに創作小説を描いてます。 現在、来年出版の実話怪談を執筆しております。 2020年(株)平成プロジェクト主催「美濃・飛騨から世界へ! 映像企画」にて八木商店著【男神】入選。入選後、YouTube朗読で人気を博し、2023年映画化決定。2024年、八木商店著【男神】が(株)平成プロジェクトにより、愛知県日進市と、東京のスタジオにて撮影開始。いよいよ、世界に向けての映画化撮影がスタートします。どうぞ皆様からの応援よろしくお願い致します。 現在、当サイトにて掲載中の【 㥯 《オン》すぐそこにある闇 】は、2001年に【 菩薩(ボーディサットゥバ) あなたは行をしてますか 】のタイトルで『角川書店主催、第9回日本ホラー小説大賞』(長編部門)にて一次選考通過、その後、アレンジを加え、タイトルも【 㥯 《オン》すぐそこにある闇 】に改め、エブリスタ小説大賞2020『竹書房 最恐小説大賞』にて最恐長編賞、優秀作品に選ばれました。かなりの長編作品ですので、お時間ある方はお付き合いください。 また、同じく現在掲載中の【 一戸建て 】は、2004年『角川書店主催、第11回日本ホラー小説大賞』(長編部門)にて一次選考通過した作品です。

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