四年生の五人の男が両腕にキックミットを装着して等間隔に横に並び、先輩に向かい合う形で残りの部員たちがそれぞれの先輩の前に一列ずつ並ぶ。ミット蹴りは疲れるから井上は嫌だった。それに加えて四年生は三年生には容赦ない厳しい注文をつける。だから余計に嫌だった。中でも一番注文が多かったのは主将の大沢だった。井上は大沢の列に並ぶのを避けて、言葉優しい物静かな宮本仁先輩の前に並んだ。
パンッ! パンッ! ドスンッ! パーン!
辺りにミットを蹴り込む音が鳴り響いた。下手で効かない蹴りほど甲高い音を鳴らしてミットを弾くものだ。
パーン、パーン!
ミットの表面を弾いただけの蹴り。とかく初心者によく見られる足先だけの腰の回転がない蹴り。足の甲でしか蹴り込まないものだから、どうしても乾いた音になってしまう。
「上段を蹴れない人は中段でいいから、ちゃんと脛で蹴るんだぞ! 膝から入っていけよ!」
大沢が全体に目を配りながら指示を与える。
「よし! 今度はゆっくりでいいから、インパクトの瞬間に脛の骨の部分をミットにねじ込むように蹴ってみろ!」
副主将の西村が初心者に細かな指示を与えている。
辺りにミットを弾く爆竹のような大きな音が響き渡り、波の打ち寄せる音が遠くに聞こえはじめた。部員たちの耳にはミットを蹴り込む音と、肩を揺さぶった荒い息づかいしか耳に入らなかった。井上は疲労で重くなった左足を腰まで引き上げ、充分に膝を抱え込んで溜を作って勢いよく脛をミットに打ちつけた。
ペシン!
やべっ! インパクトがずれちまった。大沢さんには気づかれなかったよなぁ。
井上は恐る恐るそっと大沢を見た。運よく大沢は二年を指示するのに夢中になっていた。
ああ、良かったぁ! 今の見られてたら、絶対何かいわれてただろうな。それにしても、ああ、だるぅ! 全然蹴り足が走らないし、地面の蹴り込みも砂浜じゃあバランスが悪くて駄目だなぁ。後どのくらいつづけるつもりなんだろう? 苦痛に耐えることが空手の修行なのか?
「おい、井上! だらだらするな! 疲れてんのはおまえだけじゃないぞ!」
不意を衝いて大沢が睨みを効かせた。
ウワッ! ビックリさせんなよ!
突然の大沢の声に井上は心底驚いた。
チッ! うるせえなあ! これでも精一杯蹴ってんだよ! おめえはしっかり二年を教えてろ! 余所見すんなよ。
井上は舌打ちしながら大沢に「押忍!」と返して真剣に蹴ってる振りを装った。大沢の一言は井上から余計にやる気を奪った。
ああ、早く終わんねえかなぁ。
井上が上の空で列に並んでいると、どこからともなく誰かに見られているような視線に背筋がゾクッとするのを感じた。井上は辺りを見渡した。
なんだ、なんだ! どこから見てんだ! さあ、大人しくその正体を現すんだ!
心の中でそう叫んだ瞬間、海岸の北の岩場の影から数人の頭が覗いているのが見えた。
海岸は無枯村でも明るいほうだったが、それは空からの光で明るいというよりも海に反射した陽射しによるものだった。人影が見えた岩場は砂浜よりも暗かった。
変だなぁ? 確かにあの岩影に人が顔を覗かせたように見えたんだけど? どう見ても真っ暗で何も見えないじゃないか。
井上は目を凝らして岩場をじっと見つめた。
奇怪しい! 岩場は真っ暗で何も見えないのに、俺はどうして人が顔を覗かせたように見えたんだろう?
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