井上は首を傾げて考え込んだ。
疲労のあまり幻覚を見たんだろうか?
井上は意識に残るその不可解な岩場で見えた人の気配を思い浮かべた。
俺はただ人が岩場にいると思いたかっただけなんじゃないか? やっぱ、疲れが溜まってたから、人がそこにいると思い込んだんだろう。
そう結論付けながらも、井上は誰かに見られている視線を感じた感触にも疑問を抱いていた。
誰かに見られているような気がしたのは、あれはただの気のせいだったのか? 大学の道場で稽古してるときは、必ず何人かの見物客がいたから、いつの間にか稽古中は誰かに見られてないとやる気が起こらない身体になってたんだな。
井上はいつもの道場での稽古と勝手の違う青空稽古に、無意識にギャラリーの視線を求めていた。だが、現実には人気のない無枯村では見物客を見つけることは不可能だと思われた。そうだとわかると井上のやる気は更に加速的に失せていった。道場での稽古への集中力も、井上の場合はギャラリーの前で好い恰好を見せようというそんな浮かれた姿勢で保たれていた。井上はやる気がまったく失せてしまった状態で、先輩の喧しい指示に言われるままにメニューの数だけを適当にこなした。しばらくだらだらと稽古をしていると、佐々木が井上に声を潜めて何か知らせてきた。
「おい、あそこ。ギャラリーのお出ましだ」
佐々木が目で示した先は、井上が人影を見たと思った岩場だった。
なんだやっぱいたんじゃないか! 砂浜の北に延びた岩場に、20人前後の子供たちが身動き一つしないでじっと練習風景を眺めている。
「あんなところで危なくないのかしら!」
女性部員たちも気づいたらしく、稽古も忘れて子供たちの安否を気づかう声が囁かれた。
ほんとだ。よくよく考えてみれば、岩場のすぐ間近まで高い波が打ち寄せてるんだよな。足場も滑り安く不安定だろうし、小さな子供もたくさんいるようだけど、波に攫わなければいいが。
子供たちの安否が気になって、もう稽古どころではなかった。そうこう考えている内に、女性部員たちから大沢に子供たちのことが告げられた。大沢としても万が一の事が起こって大事に至った場合、その場にいながらも事前に注意することなくみすみす見殺しにしたなどと言われて誹謗の的になるのは嫌だとみえ、新入生たちを指示して子供たちを連れてくるように促した。ミット稽古は一年生たちが子供たちを連れてくるまで一旦中断され、小休止が取られた。井上は子供たちが砂浜を歩いてくる様子をスポーツドリンクを飲みながら眺めていた。子供たちは手を繋いで、呼びに行った一年生を先頭にゆっくり歩いてきた。
「井上、あの子たちじゃないか?」
不意に佐々木が背後から声を掛けてきた。
あの子たちって?
井上は佐々木の言葉に記憶を辿った。
ああ、祓橋で俺たちを見てた子か。
「あの服装は間違いないな。皆んなボロボロだ」
佐々木は不思議と興奮していた。井上は祓橋を過ぎたところで、佐々木と目撃した子供たちの服装の異様さについて話したことを思い出していた。
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