井上たち三人は佐々木の車に乗り込むと、見送る主人と女に車内から深々と頭を下げて民宿を後にした。帰り道、祓橋に差しかかると三人は車から降りて、主人の言葉に従って祓橋の石畳の上で足を清めてから松山へと道を急いだ。行きとちがい帰りの車には由香の代わりに横山が乗ることになった。井上にとって口喧しい由香がいないことは何よりも有り難かった。
無枯村を出たのは先日到着したときとほぼ同じ時刻だった。相変わらず昼間というのに薄暗く、木々のあいだを縫って降り注ぐ陽射しは弱く、晴れているのか曇っているのかもわからない。車が無枯村につづく道を抜け、メロディーラインを走ってしばらくしたとき、横山が急に何かを思い出して叫んだ。
「あっ! あの約束、まさか信じてないだろうなぁ」
横山の絶叫に井上と佐々木は驚いて何事だと思い一瞬後ろを振り返った。
「突然デカイ声出すなよ! ビックリしただろっ! おまえと何か約束してたっけ?」
ハンドルを捌く佐々木が訊ねた。
「ちがうよ! おまえたちとじゃない。昨日の温泉でほら」
「ああ、子供を松山に連れてってやるって、あれか?」
「まさか、明日の朝無枯荘の前に大勢集まってねえだろうなぁ?」
「あの村の子供たちは純粋そうだったからなぁ。間違いなく待ってるぞ!」
「うそっ! まさかあの話本気してないだろうなぁ」
「本気にしてるよ。おまえが連れてってやるっていったら、ありがとうってえらい喜んどったもんなぁ。絶対に明日待ってるな。おまえどうすんだ?」
「冗談のつもりだったのに」
「いたいけな少年の期待を裏切るのはよくないぞ。おまえ多分恨まれるぞ!」
「嘘だろ!」
「いいや、絶対に恨まれるよ」
佐々木は半分からかって言っていたが、横山はそれに気づかず真剣に重大なこととして受け留めていた。横山は佐々木の口から飛び出した「恨まれる」という言葉が頭の中を何重にも駆け巡っていたにちがいない。そんなことくらいで狼狽する横山を見て、井上は観音温泉では始終子供たちに無愛想だった自分の振る舞いが正しかったと思った。
他の部員たちからかなり遅れて村を出た井上たちは、松山までの道中他の部員たちに会うことはなかった。携帯電話で何らかの連絡があってもよさそうなものだったが、何も連絡がないことでサークルという組織から解放されて三人はドライブを楽しむことができた。
「もうすぐ着くな」
途中で佐々木と運転を替わった井上が言った。
「それにしても変な村だったよな」
欠伸を噛みながら後部座席で足を伸ばした佐々木が言った。
「他の連中もちゃんと足洗って帰ったんかなぁ?」
不安な面持ちで助手席の横山が呟いた。
「あの分だと皆んな清めてないよ」
井上は言った。怒り狂った大沢には主人の声は耳に入らなかったはずだ。四年生の性格を知りもせず憧れを抱いている一、二年生が大沢を見習わないわけがない。当然男性部員の中に足を禊川で清めた者はいないだろう。女性部員も多分、服が濡れることを気にして絶対に車から降りたりはしないだろうと井上は思った。
「無枯荘のおやじのあの顔はちょっと怪しかったよな?」
横山が主人が注意を促したときの顔を思い浮かべて言った。
「なんかあるんだよ」
井上は応えた。
「なんかって、やっぱヤバイことか?」
「おまえら加藤からその後友達がどうなったか聞いてないだろ?」
佐々木と横山が身を乗り出して頷き、井上に話をつづけるように目で合図した。
「あの村から帰ってきて友達は奇怪しくなった。で、…死んだらしいぞ」
井上がそう言った瞬間、車内に異様な雰囲気が漂いはじめた。
「なんもうつすなって、おばさんいっただろ」
井上はつづけた。二人は頷いて井上に応えた。
「加藤の友達はな、あの村で綺麗なピンク色の透き通った石を拾って持ち帰ったんだ」
「一、二年の連中が海の中に綺麗な石があるって騒いでたけど、それのことか?」
浜辺での光景を思い出した佐々木が訊ねた。
「そう! その石!」
井上は加藤から聞いた内容を、おどろおどろしく脚色を加えて話した。
コメント