暑さが真夜中ということを忘れさせていた。翌日の試験のために加藤はどうしても眠っておかなければならなかった。翌日の試験は一時限目からびっしり詰まっていた。なかなか寝つけないでいた加藤は窓を全開にして、空気の流れだけでも作って身体を休めようとした。窓を開けた部屋の中に微かな空気の動きが感じられる。次第に加藤の意識は暑さを感じなくなっていった。
遠退いていく意識の中、不意に頬を撫でられた感触を覚えた。誰かに触られたのだろうかと不思議に思い起きて確かめようかと思ったが、疲れた肉体はそうすることを拒んだ。
コトコトコトッ!
ガサガサッ! スーッ
恍惚状態に陥った加藤の意識に再び物音が聞こえた。
こんな夜中に誰だ? 隣の部屋のヤツがバイトから帰ってきたんだろうか?
ガサガサッ! スーッ
普段は足音を忍ばせて静かに帰ってくるのに、今日はどうしたんだ? 酔っ払ってんのかなぁ? 明日は大事な試験があるんだ。今日は静かに眠らせてくれ
コトコトコトッ!
廊下を小走りする音が先程からずっと聞こえている。
なんだよ、畜生! 友達と今から飲む気じゃないだろうな!
まどろみの中でさえも加藤は怒りの感情を起こしていた。
トントントンッ!
不意にドアをノックする甲高い音が響いた。
今確かに俺の部屋のドアをノックしたよな!
そう思った瞬間、加藤は跳ね起きて、寝ぼけた顔で立ち上がりドアを少し開いて廊下を覗いてみた。明かりが灯されていない廊下に街灯の薄明かりが射し込んでいる。人の気配はなく、ただ薄気味悪い古いアパート独特の饐えた匂いが鼻を衝く。
なんだよ! 誰もいねえじゃねえか!
「気のせいか…」
そう呟くと加藤は隣の部屋の壁に耳を当ててみた。熱気を帯びた白い土壁が耳に暑く感じられる。加藤は壁に押し着けた耳に意識を集中させた。何も音がしない。と言うよりも聞こえてくるのは微かな鼾と、クーラーの振動音だけだ。
変だなぁ? 隣は眠っているようだ。それも今眠りに就いた感じではなく、大分前から眠りに就いている感じだ。
そのとき加藤は午前零時を過ぎた頃、隣の学生がバイトから帰っくる音を聞いたのを思い出した。
そうだ! 隣はとっくに帰ってきてたんだ!
加藤は耳を壁に押し当てたまま怪訝に思い、今しがたの騒音が何だったのか考えた。
あれは何だったんだろう? 確かにこの部屋のすぐ外、廊下側と隣の部屋の辺りから聞こえたと思ったんだが? 夢、だったのか? 多分そうだ。ちょうど良い気分で寝入るところだったからなぁ。
そう自分に言い聞かせて納得すると、加藤は大きくため息を吐いて布団に横になった。たちどころに意識が遠退いていくのがわかった。今度は眠りのほうから加藤を迎え入れてくれた。
コトコトコトッ!
ガサガサッ! スーッ! スーッ! スーッ!
トントントントントンッ!
加藤は再び物音に目を覚ました。
折角眠れたと思ったのによぉ!
「誰だ! こんな夜中に!」
加藤は声を上げた。眠気はすっかり消え去っていた。怒りが暑さすらも忘れさせていた。加藤はドアに詰め寄り吐息を潜めて、騒音を立てている犯人を捕らえてやろうと身構えた。
見つけ出したら上段廻し蹴りの二、三発はお見舞いしてやる! クソッ! よりによって試験期間中だぞ! 俺の逆鱗に触れたバカ野郎は誰であろうと許さねえ! これで寝坊して試験に遅刻でもして受けられなかったら、絶対に生かしちゃおかねえからな!
心の中で毒づきながら、加藤は神経を研ぎ澄ませて物音を立てる気配を追った。しばらくイメージトレーニングで騒音を奏でる相手を痛めつける場面を思い描いていると、
コトコトコトッ!
ガサガサッ! スーッ! スーッ! スーッ!
トントントントントンッ!
複数の足音が聞こえたかと思うと、加藤の部屋のドアを小刻みに打ち鳴らした。加藤は突然のことに驚き、息を詰まらせてその場から後退りした。
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