無我夢中で部室にまで逃げてきた三人は、東雲荘で耳にした廊下を駆ける足音が何だったのか冷静に話し合っていた。
「佐々木が聞いた話が加藤のあのアパートなら、それってやっぱ合宿から帰ってからってことになるのかなぁ?」
井上は缶コーヒーで喉の渇きを潤すと佐々木に訊ねた。
「俺がその話を聞いたのは後期がはじまってからだ。やっぱ、加藤のアパートに間違いないよ!」
「てことは、合宿であの村に行ったことで、皆奇怪しくなってしまったのか! 加藤は石は持ち帰らなかったっていうのに」
「やっぱり石は関係なかったんだよ。原因は他にあるんだ。石を戻しに行った部員たちも、恐らく加藤の友達のようになったんだ。石をあの村に戻しても手遅れだったんだよ。あの写真、向井さんが配った写真は確かここにしまってたよなぁ?」
佐々木が飲み干した缶コーヒーを灰皿代わりにタバコの灰を中に落とした。そして散らかった部室の戸棚を探しはじめた。
向井が持ってきた写真は誰も持ち帰ることなく、そのまま道場に置かれたままだった。誰もが石を無枯村に戻しに行くことで頭が一杯で、写真はその用を終わらせていた。道場に散らかった写真、そしてそれらを焼き付けた一枚の小さなメモリカードを一纏めにして、部室の戸棚にしまい込んだのは佐々木だった。
「あ、あったぞ!」
タバコを咥えた佐々木が大きく膨れた紙袋を戸棚から引っ張り出した。
「あの日以来、全然見てねえけど、祟りがあるなら何か変化が現れてるかもしれん」
そう言いながら佐々木は紙袋の開いた口を下に向けて、机の上に勢いよく写真の塊を散りばめた。どれも形が変形してしまい、反り返ったり折り目がくっきり付いたもので一杯だった。三人は適当に散らばった写真を三等分して、一枚一枚丁寧に変化が見られないか確認作業を行おうとした。だが写真を見た次の瞬間、三人の顔色は青褪めていた。
「ウワッ! な、なんなんだ、これっ! 一体どうなってんだ!」
最初に奇声を上げたのは佐々木だった。そしてその声につづいて、
「やっぱ、そうだったんだ! 石を戻してももう無駄だったんだ! 終わったよ、もう全部終わってしまったんだ!」。
「あのおやじのいうことを聞かなかったからだ! 村に伝わる古くからのしきたりに従わなかったからだ! こ、こんなことが、本当に起こるなんて」
写真には信じがたい現象が現れていた。写真に写った部員たちの容姿は別人となった姿で写っていた。服装は全員胴着姿。そして被写体となったモデルは黒帯の者はなんとか帯に刺繍された名前で確認できたが、他の帯の者はまったく誰なのか判別できなかった。
加藤は無枯村を訪れた友達が老けしまったと言った。井上はその話には半信半疑だったが、その日三人が確認した写真には胴着を纏った中年の男女の姿がはっきりと写っていた。不思議なことに老けた部員たちは全員が笑顔で写っていた。まるで自分たちの回りに子供たちが囲んでいるのがわかっているかのように、視線を子供が立った目線の辺りに落としていた。確かこれらの写真が現像されたときの物は、皆んな一様にカメラに視線を向けていたはずだった。しかし数ヵ月を経て見た写真には、部員たちは視線をカメラに向けている者は一人としていなかった。更に驚いたことに灰色にしか見えなかった背景が、強い陽射しを受けたようにくっきりとカラーで写されていた。これらの写真が撮られたときの状況を知らない者が見たとしたらどう思うだろう。恐らく誰も不審を抱く者はないだろう。確かに写真の中央で視線を若干落として微笑み掛ける老けた部員たちに不自然さを感じるかもしれないが、それはそれで背景の描写に調和して上手く溶け込んでいるように思える写真だった。
三人は言葉を失ってしまった。まさか写真の中の映像までが変化しているとは、そんなことがありえるのだろうか? 三人は手にした写真を投げ捨てると、それに触れるのも気持ち悪くて写真を片づけようとはしなかった。誰もそれに目を向けようとしなかった。そしてそのまま無言の時が、夕日の訪れと共に過ぎようとしていた。どれくらいの沈黙がつづいたのかわからない。随分長いあいだ何も考えたくないという心からの渇望が働いていたと思う。校舎の屋上に差しかかった夕日が、鋭い赤い光線を部室の窓を突き破って三人を照らしていた。部室から目線の高さに見えた夕日は、無枯村で見た渦を巻いたような不気味な光は見せず優しい光を放っていた。言葉を失った三人が動きを見せたのは夕日が校舎の影に隠れてからだった。
「これ、どうする?」
井上は写真を指さして二人に訊いた。佐々木と横山は散らばった写真からは目を背けたまま、絶対に見ようとしない。目が合えば祟りに遇うと思っているのだろうが、そう思っても仕方がない状況だった。しかし写真をこのままの状態で放置しておくわけにはいかない。今後も三人はこの部室の管理者として利用するつもりなのだから。井上はこのまま放置したままだと、絶対に佐々木と横山は部室に足を運ばなくなると思った。そんなことにでもなれば、この部室こそ水野が無枯荘で恐れていた開かずの間になってしまう。流石に井上は神聖な部室を、魔が蠢く邪悪な場所にはしたくなかった。井上は絶対に写真を視界に入れようとしない二人に代わって、渋々ながら机の上を綺麗に整理しはじめた。
井上は写真に触れた途端、指先を伝って全身に鳥肌が立つのを覚えて思わずゾッとした。祟りに遇うといけないと思い、一枚一枚丁寧にできるだけ目線を写真から逸らして伏せた状態で束ねていったが、佐々木の写った写真がたまたま目に入ってしまい迂闊にもそれに目を留めてしまった。
「ギィヤー!」
次の瞬間、けたたましい悲鳴を上げて、井上はその場に引っ繰り返って気絶してしまった。井上は誰かに撲られて頬に痺れる痛みを覚えて目が覚めた。
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