炎に包まれる住職を助け出せるほどの理性はなかった。怯えるばかりの三人はただただ誰かに助けを求めようとできる限りの声を張り上げるだけだった。三人の叫び声を聞いて一人の年老いた僧侶が裏庭から駆けつけた。僧侶は火の海と化した本堂を見るなり、水も被らず駆け込んでいった。三人は本堂から離れた中庭の影まで這って逃げ、動揺を抑えながら呼吸を静かに整えた。すると、
「きゅ、救急車! 早く救急車呼んで下さい!」
本堂から僧侶が助けを求める泣き叫ぶ声が聞こえてきた。佐々木は急いで携帯電話を取り出し、救急車を手配した。そして、「誰か手を貸して!」と本堂から再び声がした。三人は震えが納まり切らない足を引きずって急いだ。扉が開け放たれた本堂の中は煙がもくもくと立ち込め、赤々と燃え盛る炎は天井を波打つように走っていた。
「誰か!急いで!」
年老いた僧侶の泣き声が悲しみと怒りの入り交じって聞こえた。三人は立ち込めた煙で前が見えない本堂に入った。
「ここです! この子を早く外に!」
煙で目が痛むの堪え、三人は僧侶に渡されたぐったりとした住職を立ち込める煙の中から外に引きずり出そうとした。煙が鼻を衝き、喉を刺激して呼吸がままならない。本堂の中は立ち込める煙で、どこに何があるのかすらわからなかった。三人は光の射し込む開いた扉から転げ落ちるように外に出た。無我夢中でぐったり力を失った住職を日陰に引きずり出し、横たえて休めようとしたそのとき、はじめて住職のその姿を目の当たりにした。
「ウワッ!」
変わり果てた住職の姿に、思わず目を背け反射的に喉にこみ上げる吐き気を抑えようと両手で口を押さえた。炎を全身に浴びた住職は、皮膚はただれ、炭になっている箇所さえあった。井上は目を背けようと努めた。しかし、その想いに反し衝動は抑えられなかった。怖いもの見たさだった。井上はマネキンのように固まった住職を見た。そしてあることに気づいて、息を飲んだ。
あ、焼けてない!
井上は炭と化した住職の身体に焼け残った部分があることに気づいた。
「足は焼けてない!」
井上は思わず叫んでいた。
「えっ!」
井上の声に二人も住職の足元に目をやった。
「こ、これは」
と、言いかけて井上はその先を声にするのを止めた。井上は部員たちが無枯荘で見た不思議な亡霊の話を思い出していた。加藤から聞いた無枯荘の亡霊は足だけだった。それも踝から下のちょうど靴を履いたときに隠れる部分。横たわる住職の身体で炭にならなかったのはそこだけだった。
「あ、さっきの坊さん、出てきたぞ!」
横山が本堂から庭に命辛辛這いだした僧侶に気づいて二人に告げた。辺りには煙が立ち込め、まるで狼煙のように青空に立ち昇っていた。本堂の屋根を這う炎は勢いよく燃え盛り、離れていてもその炎の暑さで頬が焼けるように痛かった。次ぎの瞬間、本堂の屋根が轟音を立てて焼け崩れ、地面を揺るがせた。消防車のけたたましいサイレンの音が聞こえてきた。
庭に転がり出た年老いた僧侶の顔は、真っ黒に煤に塗れて目も開けられず、喉も詰まって声が出せないでいた。脱水症状を起こしたのか、飲み物を乞うジェスチャーを仕切りに繰り返した。井上は急いで塀の傍にある井戸からバケツに水を汲んで渡した。僧侶はバケツに口を付けると嗽を数回して、ゴクゴクと満腹になるまで喉の渇きを潤し、残った水を頭から被って身体の熱りを和らげた。そして大きく肩を上下させて数回深呼吸をすると、神妙な面持ちで三人に訊ねてきた。
「これはお宅さん方のですか?」
僧侶は燃え盛る炎に投げ込まれたはずの写真の束と小さなプラスチックのチップを三人の前に差し出した。三人は手渡された写真を見て心臓が止まる思いだった。
嘘だろっ! あの炎でなんで灰にならないんだ!
三人は意識が遠退きそうなるのを堪えるのが精一杯だった。
「ど、どうして燃えてないんだ!」
井上は狂ったように叫んだ。写真の無傷な状態に膝が音を立てて震えた。辺りは気がつかない内に黒山の人だかりとなっていた。
「あ、あの子は駄目でしたか?」
涙を目に溜め、僧侶が肩を落として力なく吐いた。
「外に出したときにはもう」
佐々木が僧侶の心中を察して小さく応えた。僧侶はその場に崩れ落ちて地面に顔を押し付けて嗚咽した。恐らく炭になった住職はこの老人の息子さんだったのだろう。炭になった我が子を見つめる老人の姿はあまりにも忍びなかった。しかし井上たちを前にして僧侶は気丈にも自身の使命を果たそうとした。
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