井上たちから連絡をもらったその日の夜、加藤の両親は電話の内容には半信半疑だったが兎も角新居浜を発った。高速を飛ばしに西へ、カーラジオの時報が午後11時を知らせると同時に松山の夜景が見えてきた。加藤の両親は予てから松山で一人暮らしする息子に不審を抱いていた。夏休みは帰省すると事前に連絡があったものの今年は帰ってこず、おまけにこの数ヶ月携帯が繋がらない。父親は東雲荘の向いに車を停め、妻が息子を呼びに行っているあいだ車内でタバコを吹かせながら待っていた。時刻はそろそろ午前零時になろうとしていた。静まり返った東雲荘に母親のドアをノックする乾いた甲高い音が鳴り響いた。
トントントン!
「健ちゃん!」
夜中の訪問に母親は小さな声でドア超しに声を掛けた。
トントントン!
「健ちゃん! いるんでしょ。お母さんよ。お父さんも外で待ってるの」
トントントン!
「さっきね、健ちゃんの大学の先輩からお電話頂いてね。健ちゃんを連れてどうしても一緒にきてもらいたいとこがあるって」
トントントン!
「いるんでしょ! ここにくる前に、大家さんに電話したらいるっていってたわよ。なんか感じ悪かったけど、あなた何か問題起こしたんじゃない? 大家さんは何もいってくれなかったけど。健ちゃん!」
一向にドアは開かない。苛立つ母親はついつい隣近所が寝静まっていることも忘れて声を荒立てた。
トントントン!
ノックする手にも自然と力が入る。
「健ちゃん! 早く開けなさい!」
トントントン!
「なあなあ、お父ちゃん、お父ちゃん! 誰か戸ぉ、叩きよるでぇ。開けんでかまんの?」
「あの声は僕のお母さんだ」
「お父ちゃんのお母さん? ほんならわしらのオバアけ?」
「そう。君たちのお婆ちゃんだ」
「わし、オバアに逢うたことない。逢うてみたい! 逢うてみたい! なあ、早よ戸ぉ開けよや!」
「うん。そうだね」
加藤はドアを開けに子供たちから離れた。
カチッ!
ギィー!
ドアの鍵が開く音が響いた。つづけてドアが音を立ててゆっくり動きはじめた。母親の苛立ちはすぐに消えた。久しぶりに逢う息子を笑顔で出迎えようとした。ドアが開き、加藤が現れた。
「健ちゃっ、あらっ? お宅は? あらっ? 私、部屋間違えたのかしら?」
開いたドアの向こうに立っていたのは、恐ろしいほどに痩せこけた見知らぬ老人だった。加藤の母親は驚きと戸惑いを隠せないでいた。
「あの子ったら親に内緒で引っ越したのかしら! でも、でも変よねぇ? 大家さんはそんなことを一言もいわなかったわ」
母親は困った表情を見せて、その場を繕うようにあれこれぶつぶつと言ってみせた。そして勇気を振り絞って老人に声を掛けた。
「あのぉ失礼ですけど、ここうちの息子の部屋じゃございません? お宅は何方?」
「僕だよ。何いってるの?」
「はぁ? 何をおっしゃってるんですか? 奇怪しなことをいわないで下さい! うちの子の部屋であなた何してらっしゃるの! 息子は、健も一緒なんですか?」
「僕だよ! 奇怪しなことをいってるのはお母さんのほうだよ。僕の顔を忘れたの?」
「あのぉ、こんな夜中にふざけないで頂けます! 息子の部屋に断りもなく勝ってに入り込んで、警察呼びますよ! あなたがこの部屋にいること息子も知ってるんですか!」
そこまで言ったところで母親はあることに気づき、顔を引きつらせた。
まさか、この人、ど、泥棒! あの子は多分夜中のバイトに出てるんだわ。以前大家さんから、ここに住んでる学生さんは皆夜遅くまでバイトしてると聞いたことがあるもの。こ、この男はこの時間帯アパートに誰もいないことを知っていて泥棒に入ったんだわ。ど、どうしたらいいの! 男が刃物でも持っていたら! しまった! わ、私、男の顔を見てしまったわ! ど、どうしよう! 早く逃げないとこのままだと、
「殺されるぅー!」
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