「ま、眩しい! 誰かこの光を消してくれ!」
「あ、スイッチあったぞ!」
父親の声が聞こえた瞬間、暗闇の部屋に裸電球の貧弱な明かりが灯された。
「健っ! その恰好、おまえ一体どうしたんだっ!」
父親の怒鳴りつける声に震えながら加藤は閉ざした瞼を開いた。父親の手にはアウトドア好きの父親愛用の、強力な光線を放つ懐中電灯が握り締められている。
「ヒィーッ、ヒィーッ!」
獣のような引きつった奇声を上げて加藤はのた打ち回った。
「な、なんということだ! おい、健! しっかりしろ! もう大丈夫だ。お父さんが助けてやるからな! 今ならまだ間に合う! 大丈夫、おまえは助かるんだぞ!」
腐った畳みの上でのた打ち回る息子の姿は目を覆いたくなるものだった。その姿形は痩せこけて筋肉を削ぎ落とした骸骨のように貧弱だった。異常に痩せてしまっていたせいか、20歳の若い男には見えなかった。
「健ちゃーん! あなた、どうしてこんなになるまで…」
母親は息子の哀れな姿に声を震わせ、涙を零した。
ガサガサガサガサガサッ!
〈お父ちゃん! 大丈夫!〉
一斉に子供たちが畳の上でのた打ち回る加藤の傍に駆け寄った。
「め、目が見えない!」
〈お父ちゃん!〉
子供たちは恐れおののき、泣きじゃくりはじめた。
「大丈夫! 心配しなくてもお父さんは大丈夫だ」
〈お父ちゃん! わしらを独りにせんといて! 死なんといて!〉
狂ったようにのた打ち廻る加藤に子供たちは不安を覚えた。
「大丈夫、お父さんは絶対に死んだりしないから。君たちを残して死んだりするもんか!」
ガサガサガサガサガサッ!
独り言を繰り返す息子の異常な様子に、忌み知れぬものを感じ取った両親はその場に立ち竦んでただ呆然と見ていた。
「一体、誰と話しているんだ? 健は」
父親の口を割いて目に見えぬ不気味なものに怯える言葉が飛び出した。
ガサガサガサガサガサッ!
父親は骨と皮だけになった息子を軽々と抱え挙げようとしたが、加藤は父親の腕を払い退けようと強い力で抵抗した。父親はどうにか息子を抑え込もうとした。しかしその度に急所に一撃を食らわされた。
「おい! ロープだ! 車にロープがあるから持ってきてくれ!」
父親は声を張り上げて妻に伝えると、抵抗する加藤をねじ伏せようとした。
…これは亡くなった健の友達とまったく同じじゃないか! 一体、この子に何が起こったんだ!
「お父さん! はい!」
妻は狂ったように暴れ廻る息子と格闘を繰り広げる父親に、ロープを投げ渡した。
「おい! 私が健を押さえつけているあいだに腕と足をコイツで縛るんだ!」
加藤の両親はなんとか加藤を縛ることに成功した。父親は腕と足の自由を奪われた息子を肩に担ぐと、急いで車に走り後部座席に押し込んだ。母親もその後を追って後部座席に入り、尚も抵抗する息子に覆い被さった。
「余ったロープをシートに結びつけて固定するんだ!」
父親は息子が逃げ出さないように妻に命じると、アクセルを踏み込んでその場から逃げるように立ち去った。
「お父さん、病院に急いで!」
妻の急かす声が頭の中で大きく反響した。しかし父親が病院に車を走らせる事はなかった。
「電話だ! 昼間掛かってきた電話! 健の先輩はこのことをいってたんだ! その村で清めれば助かるといったんだろ! おまえも去年なくなった健の友達のことはよく憶えてるだろ! 親御さんから聞いたことがあるんだ。この病は現代医学では治せないんだ。兎に角、病院よりも根本を解決してやるほうが賢明だ! 村に行けば治せる方法があるかもしれん!」
後部座席では妻が痩せこけた息子を抱きかかえ、震える身体を仕切りに摩っていた。
「健をどんなことがあっても連れてこいっていったのはこういうことだったんだな。クッソー! どうしてもっと早く気づいてやれなかったんだ! もっと早く気づいていればこんなことにはならなくて済んだのに!」
父親は涙で潤む目を袖で拭いながらアクセルを踏んだ。
「あなた! 健ちゃんの先輩がいった待ち合わせの場所わかるでしょ?」
「ああ」
息子とどれくらいの時間格闘したのか憶えてない。時刻は午前四時になろうとしていた。日の出を待つ松山の闇を武道館に向かって走る。時折加藤の父親の車が対向車のヘッドライトを受けて白く反射した。しかし、そのとき光を受けた車に無数の小さな手形が所狭しと着いていたことに、気づく者はなかった。
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