怪談

『㥯(オン)すぐそこにある闇』第21節-2

「ええ、そんな意味でいうたんとはちがいます。それに物を余所に移すなという意味ともちがいます」

 

主人と女の顔に笑顔が見えはじめた。恐らく誤解が解けたことから得られた安堵感が表情を和らげたのだろう。佐々木と横山の表情にも緊張した様子はない。

 

「しかしたまげましたなぁ。写真にそんな恐ろしい物が写っとったとは」

 

主人の話し振りからして本当に何も知らないようだった。

 

「ところで旦那さんにいわれたとおり、僕たちは村から出るときに祓橋で足を清めて帰りました。他の連中はそれを無視したんです。そしてああなりました。あれも単なる村の言い伝えなんですか? それにしては旦那さんが話して下さったときの表情は、何か危険を知らせるものが伺えたんですけど、何か意味があったんでしょ? 旦那さんはそれを知っていた。だから注意して下さったんですよね!」

 

不安を払拭したかのように見えた佐々木が主人を問いただした。そのとき、主人と女の顔には微笑みはなかった。どうやらその表情からも民宿の主人と女は足を清めなければならない理由を知っているようだった。しかし、その理由を余所者に口外したくない気持ちがはっきりとその表情に現れていた。

 

「実は、私たちもそんなことが本当にあるとは想像もしとりませんでした。昔から村の人間はこの村から出るときには、必ず祓橋で足を清めてから船に乗ったんです。今は道ができとりますが、昔はなかった。隣街に買い物に行くときも、旅行に出るときも、要するに村から離れるときはどんなときもわざわざあそこへ寄ってから浜に行きよりました。私ら夫婦も買い出しに村を離れるときはね、必ずあそこで清めてから出よんです。深い意味は知りませんでした。私はこの民宿に来られる方に村に伝わる出逢いと別れの挨拶を何気にしとっただけなんです。

 

あれは何年前のことでしょう。ある方からお手紙を頂きました。その方はここにお泊まりになられた方の奥さんでした。ご主人さんはこの村にお友達三人でこられました。手紙には奇妙なことが書いてありました。ご主人はこの村から帰られてから急に体調を崩してしまったと、でも体調を崩したのは三人連れの中でもその方お一人だったそうです。お手紙には不可解なことが書かれとりました。それは一緒に旅に行かれたお一人の方が奥さんにいわれたそうなんですがね。あのとき、彼一人が川で足を清めなかったからなのかもしれないといわれたと書いてありましたわい。

 

私はお手紙を送られた方が何をいいたいのかまだわかりませんでしたので、先を読み進めていったんです。結論から申しますと、ご主人さんはここに訪れた半年後に亡くなられたそうです。そしてその亡くなった原因がこの村にあったのではないかと。奥さんはお友達の言葉が気になっていたそうです。亡くなられたご主人さんは村から帰ると、誰もいないのに誰かに話しかけているような奇怪しな行動を取るようになったそうです。その様子はまるで乳飲み子をあやすような、小さな子供を相手にするような普通では考えられん独り言を、時と場所を選ばずしとったそうです。最初は軽い冗談やと思とったそうですが、日に日にそれは酷くなり、遂には会社でもぶつぶつ子供の幻を相手に独り言をいいよったそうです。それで、回りの方々は気色悪がって仕方なく会社も辞めないかんようになったそうです。

 

会社を辞めてからご主人さんは家に閉じこもり、朝から晩まで子供の幻を相手にしとったそうです。その姿は子供を育てとるように見えたそうです。奥さんはこれは只事ではないと思て、大学病院の精神科で診察してもろたそうなんですがね。お医者さんは単なるストレスに依るものじゃけん、しばらくは塩梅ようしといて下さいと安定剤をくれただけやったそうですわい。奥さんもお医者さんに診てもろたことで安心したんでしょうなぁ、お薬をご主人さんに飲ませてストレスが溜まらんように気を遣いながら、ええ環境を整えてやりよったそうです。

 

けどね。ご主人さんの様態は一向に良くなることなく、結局半年後に衰弱して栄養失調で亡くなられたそうです。それまでに何度も病院に行ったそうです、精神科も行き、当然内科のほうにもです。でもお医者さんは皆んな同じことをいうだけで、他にどうすれば良いのかは何もいうてくれんかったんですと。奥さんは入院して徹底的に治療するようにお願いしたらしいんですが、病院側は入院するほどのことではないいうて、また医者が施すものではないから心配せんでもかまん、そういうたらしいですわ。栄養さえちゃんと摂っとけば必ず治りますからといわれ、まったく相手にされんかったそうです。

 

お手紙を送って下さった奥さんがお友達の方から、その足を洗わんかった話を聞いたのはお葬式の後やったそうです。御夫婦揃って迷信やの言い伝えやのといった類は全然信用しとらんかったそうですが、ご主人さんが亡くなられたことでその考えを改めたと手紙の最後に書いとりました。、やっぱり何かあるんですかね? 私もそのお手紙を頂いてから、真剣に村に伝わる風習を守らんといかんなぁと思いましてね。それ以降は以前にも増してお客さんには必ず帰りには足を洗て下さいよとお願いしとるんです。ほんとかどうかわからんけど、やっぱり恐いですけんねぇ」

 

三人は主人の話に耳を澄ましていた。井上は聞きながら心の中で呟いていた。

 

やっぱ、あの川で足を洗わなかったからか。でもどうして皆んな急激に老けていったんだ? 子供の幻を相手にする行動。これはやっぱり子供の亡霊を写真に移して村から連れ出したことで起きた現象だと思うんだが?

 

井上にはまだまだ疑問が残っていた。

 

「あのぉ、話は変るんですけど、この村に子供はどのくらいいるんです?」

 

井上は訊ねた。すると、

 

「子供なんぞおりゃしませんよ。ここは一番若い者でも私ら夫婦ですから。後は皆七〇過ぎの年寄りばっかりです。それにその人らもいっつもおるわけじゃないですからねぇ。建物はほとんど別荘状態の空き家ですよ」

 

それは訊くまでもなく三人にはわかっていたことだが、三人とも一斉に二の腕から肩に掛けてサッと鳥肌が走り、身体を縮めた。

 

「子供がどうかしましたか?」

 

主人が三人の引きつった顔に驚いて訊ねてきた。

 

「実は、以前この村にきたとき、そこの砂浜で遇ってしまったんですよ。村の子供たちに」

 

声を震わせながら佐々木が言った。

 

「村の子供?」

 

主人が目を丸めて怪訝そうに訊き返してきた。

 

「ええ。大勢の村の子供たちです」

 

「まさかっ、本当にここには子供は一人もおりませんよ。どういうことじゃろなぁ? さっきお宅さんらが今日ここにきた理由を話して下さったときに、子供と写真を撮ったいわれたでしょ。聞きながら子供なんぞここにはおらんのに、何をいよんじゃろかと思とったんですよ。ということは何ですか、お客さんらが一緒に写真撮ったんは幽霊やったかもしれんいうことですか?」

 

主人と女の顔が一斉に蒼白になるのが蛍光灯の薄い明かりでもわかった。

 

「多分」

 

 

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八木商店

コメディー、ファンタジー、ミステリー、怪談といった、日常にふと現れる非日常をメインに創作小説を描いてます。 現在、来年出版の実話怪談を執筆しております。 2020年(株)平成プロジェクト主催「美濃・飛騨から世界へ! 映像企画」にて八木商店著【男神】入選。入選後、YouTube朗読で人気を博し、2023年映画化決定。2024年、八木商店著【男神】が(株)平成プロジェクトにより、愛知県日進市と、東京のスタジオにて撮影開始。いよいよ、世界に向けての映画化撮影がスタートします。どうぞ皆様からの応援よろしくお願い致します。 現在、当サイトにて掲載中の【 㥯 《オン》すぐそこにある闇 】は、2001年に【 菩薩(ボーディサットゥバ) あなたは行をしてますか 】のタイトルで『角川書店主催、第9回日本ホラー小説大賞』(長編部門)にて一次選考通過、その後、アレンジを加え、タイトルも【 㥯 《オン》すぐそこにある闇 】に改め、エブリスタ小説大賞2020『竹書房 最恐小説大賞』にて最恐長編賞、優秀作品に選ばれました。かなりの長編作品ですので、お時間ある方はお付き合いください。 また、同じく現在掲載中の【 一戸建て 】は、2004年『角川書店主催、第11回日本ホラー小説大賞』(長編部門)にて一次選考通過した作品です。

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