生唾をゴクリと音を立てて飲み込み、佐々木が応えた。そのことはあの日道場で向井が写真を見せたときからわかっていた。それにお寺で御祓いを受けたときに決定漬けられたことだったが、事実として認めたくないという心の迷いにも似た救いを求める気持ちが三人にはあった。民宿の主人と女が村に住んでいながら、ここに居すわる亡霊の存在を知らなかったことは余計に三人を落胆させることになった。
「観音温泉なんですけど、僕たちが入ってると十数人の子供が入ってきて身体を洗ってましたよ」
落胆に浸る佐々木がぼそりと言った。
「それも幽霊やったんですかねぇ?」
主人の言い方は恐いもの見たさの興味本位な感じに聞こえた。
「俺なんて幽霊だと知らず約束しちゃいましたよ」
吐き捨てるように言った横山の顔には、後悔の念がありありと出ていた。
「何を約束です?」
主人が訊ねた。
「松山に連れてってやるって」
横山は後先考えずに約束をした自分の浅墓さを悔やんだ。
「そうですか…。よっぽどここから出たかったんでしょうなぁ…」
主人は俯いたまま静かに言った。主人と佐々木と横山の会話を耳に掠めながら、一人静かに井上はも何故あの川で足を清めなければならなかったのかと考えていた。
あの川の水、あれには解毒剤の効果があったとは考えられないだろうか? この村で何らかの細菌に侵されたのでは? それはこの村にいるあいだは繁殖は抑えられているが、環境の異なる外に出た途端に一挙に猛威を振るって繁殖を活発化させる。それはまるで食中毒を引き起こす細菌のように、足や手の爪のあいだから侵入して、真水や洗剤で洗浄しても落とすことができない強い細菌なのではないか。唯一その細菌を殺菌できるのが禊川の水。あの水には解毒剤になる物質が含まれていた。足の爪の間や毛穴から入った水が体内で増殖のときを待つ細菌を撃退するんじゃないか? この無枯村の隔離された立地条件が、これらの老化を促進する細菌が外部に漏れることを防いでいたのではないだろうか。しかし道路ができたことによって人々の往来が増し、それによって細菌は外部に出る機会を得た。これは飽くまでも憶測でしかないが、この村だけに大昔から生息していた細菌は、この村とは環境の異なる場所に移されることで突然変異を起こし、その作用によって侵入した人間から異常なくらいの栄養を奪い取っていたのでは? わからないがそう考えるのが妥当なような気がする。更にその細菌は脳をも侵し、何らかの作用で母性愛に満ちた感情を刺激する。それで子供たちの幻を相手に始終亡くなるそのときまで、慈愛に満ちた振る舞いをしたのではないだろうか。
そこまで憶測を働かせたところで、井上は主人たちの会話の腰を折って話を切り出した。
「話が前後しますが、お手紙を下さった方の話なんですけどね。亡くなられた方は病院で精密検査をされたんでしたっけ?」
井上は主人から自分の憶測を立証する確かな証拠が返ってくることを期待した。
「ええ。病院に行くたんびに、徹底的に精密検査してもろたそうです。でも、それでも原因は何一つわからんかったみたいですねぇ」
主人の返答は井上が期待するものだった。
そうか。やっぱりそうにちがいないな! この細菌は現代医学ではまだ解明されてないものなんだ。皆が奇怪しくなったのが幽霊の仕業だなんてどう考えても理に適わない。精密検査で調べてもわからない細菌。今の医学ではまだ解明されていない病原体なんて五万といる。俺の推測だとこの村で侵入した細菌は、この村以外ではまだ見られない新種だ。だから、その細菌に侵された人間がどのような経緯を辿って死に至るのかも、まだ解明されてないのは当然だ。絶対に細菌の仕業だ! 間違いない!
井上が自画自賛しているときだった。
ドンッ! ドンッ! ドンッ! ドンッ!
二階から激しい振動と共に大きな衝撃音が伝わってきた。井上たちは一斉に天井を見上げた。
「何か起きたんだ! 行ってみよう!」
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