「よし! あともう少しだ!」
一同が見守る中、ドアに打ちつけられた最後の板が慎重に剥がされようとしていた。廊下の隅には外された大きな木板が積み重ねられている。井上は懸命に作業に当たる佐々木たちを横目に、観音様の本当の正体について民宿の主人を問いただしていた。
「何です! そのヨリマシって?」
主人は身体を震わして頑に口を閉ざすばかり。
「奥さん! ヨリマシって何です?」
怯えて声の出ない主人に訊ねても埒が明かないと踏んだ井上は、女に訊ねた。
「私も今初めて聞いたんでわかりません」
女の声も震えている。主人が言葉を失ってしまったことからも、それが相当に危険な物であることは理解できた。
逃げなければ助からない。何故主人は仰々しくも助からないといったんだ? そのヨリマシってヤツに殺されるとでもいうのか? 理由をちゃんと話してもらわないと、どう対策を練ればいいのかわからないじゃねぇか!
井上はただ怯えるだけの主人を歯がゆく思った。
「ヨリマシが恐ろしい物なのかどうか、ご主人は実際見たことがないからわからないんでしょ! それも村の言い伝えじゃありませんか! 俺は最初、部員たちが奇怪しくなったのは、この村のしきたりに従わなかったから、この村に棲み憑いた亡霊たちの祟りに遇ってそうなっちまったんだと思ってました。さっき禊川で清めの儀式をしていたとき、いやその後もずっと祟りにちがいないと信じていたんです。
現実に俺たちは心霊現象を写した写真を供養してもらうときに、護摩壇の炎に投げ込まれた写真から不気味な腕が伸びてきたのを見ましたからね。そして更に追い討ちをかけるように、御祓いをして下さった住職が、炎に包まれて真っ黒焦げになるまで焼かれてしまいました。でも不思議なことに足だけは、足首から下の部分だけは炭になることなく焼かれずに済んだんです。
俺は完全にビビリましたよ。祟りなんてそんなの迷信で実際には起こりっこないと思っていただけに、本当にあることを知りかなりのショックを受けました。でも不思議だったんです。お年寄りの坊さんは、部員たちが奇怪しくなったのは祟りの仕業じゃないって断言しましたからね」
井上には息子さんを祟りによって亡くされた僧侶の哀れな姿が思い出されていた。
「でも、祟りとしか思えなかった。さっき禊川で清めの儀式をしてるときです。急に川下から突風が吹いて、それは段々強くなり、川の流れを逆流させてしまったんです。それを見たときもやっぱ不思議な物の力が働いているんだと思いました。でも、ご主人の話を聞いている内に、あることに気づいたんです。俺たちは自分たちに自分自身で暗示を掛けていたんじゃないかって。最初にこの村を知ったのは後輩の紹介だったんです。その後輩はほら、あそこで壁をガリガリしてるヤツですよ」
井上は壁に爪を立てる痩せこけた加藤を指さした。
「その頃、俺たちは合宿先を探していました。金に余裕のない学生にとって、彼から聞いたここはナイスでした。誰も文句はいわないと思ってました。でも紹介した彼一人が反対したんです。俺たちは加藤にその理由を訊きました。すると彼は昨年この村を旅した友人の話をしました。その友人もご主人がお手紙を頂いた方のような経緯で死んだそうです。加藤はそのとき部員たちには友人が死んだ話まではしませんでした。でも部員たちの心にある種の不気味な影が余韻を伴って残ったのは間違いなかったと思います。
その後、俺たちは彼に友人が死んだ経緯を訊こうともせずここにやってきました。村に着いたとき、誰もがこの立地条件に不気味なイメージを掻き立てられたはずです。真夏だというのに陽も射さず薄暗いんだから、何かあるんじゃないかって思うのが普通ですよね。ここの街並みもかなりの時代物だった。だから益々皆んな自分たちが昔から抱え込んでいる不気味なイメージと、つまり亡霊です、それと無意識に結び付けていったんです。誰もが見た瞬間に鳥肌が立つようなアイテムが、ここにはごろごろしてましたから。正直、俺も村に入った瞬間から寒けを感じていましたよ。そしていつもあることを考えるようになっていました」
主人は意識が定まらないままに怯えて震えていたが、女は真剣に井上の話に耳を傾けていた。
「変なことが起こらなければいいなってね。どう考えてもここには誰もが不安を募らせる要因が詰まってました。言い方を換えれば不安を煽る物しかなかった。誰もがこの村、この民宿に入った瞬間に頭に過ったはずですよ。加藤が何故ここにくることを拒んだのか、わかったような気がしました。誰も彼の話を最後まで聞いてなかったんです。だからこそ自分たちで勝手な妄想を描いてしまった。くどいようですが、この村、この民宿は充分に嫌な妄想を駆り立てる要素がありました。
俺は彼から友人が亡くなったことを聞かされてましたけど、その結果がこの村と関係あるとは思えませんでした。死という結果を知ってたから、他の連中のように妄想を働かせることもありませんでした。でも、それでもここは充分に寒けを感じさせてくれましたよ。部屋には御札、造りは古く至る所に修繕した後がはっきり見える。おまけに開かずの間まで用意してくれてるんですからねぇ…。充分に歴史をイメージさせてくれましたから。簡単にその歴史を築いた人たちの生前の様子を想像することができたんです。基本的にその人たちはもう生きてないでしょ。仮にいたとしてもそれは亡霊となってだ。
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