「じゃあ、開けますよ!」
佐々木の威勢のいい声が無枯荘に轟いた。一同が見守る中、古い扉が静かに押し開けられていった。きしむ音を立てながら、扉はゆっくり確実に開いていった。そして真っ暗闇の部屋が眼前に現われた。衰弱した部員たちに体力が残っているとは思えなかったが、扉が開く音が聞こえた途端、敏捷な身のこなしで扉の前に駆け寄り、部屋の中にスルスルと吸い込まれるように入っていった。佐々木と横山、それに家族たちは部員たちの不可思議な動きにただただ言葉を飲み込むだけだった。25名の部員たちが暗闇の部屋に吸い込まれるのを、ただ茫然と見ていた佐々木が現実に気づいたのは、家族の一人に背後から肩を叩かれたときだった。「さあ、私たちも中へ」、そう言うとその人は佐々木を抜いて中へ入って行った。佐々木も慌ててその人の後を追うように暗い部屋の中へ入っていった。
佐々木は部屋の奥に進みながら疑問を抱いた。
この部屋も他の部屋と同じ一二畳間。観音様が祀られているはずだから、他の部屋よりも人が入り込めるスペースは少ないはずだ。二五人もよく入れたものだ。これ以上はもう誰も入れないと思われるのに。
佐々木は首を傾げながらも歩を進めた。不思議なことに観音様が祀られている部屋に廊下の明かりが射し込むことはなかった。部屋はまるで扉をこじ開けられたことに気づいていないかのように、入口付近も暗闇を守っていた。それは長いあいだ明かりに照らされることのなかった部屋が、意志をもって光を拒絶しているようにも思えた。
佐々木につづいて一同が次々と部屋の中に入っていった。我も我もと押しよせる人込みに、佐々木の空手で鍛えた身体は押されて揺らいだ。
「すみません! 押さないで下さい! 部屋はもう一杯なんですから!」
佐々木は押し寄せる人混みに向って叫んでいた。しかし同時に先程過った疑問が再び露になった。
奇怪しいなぁ? 敷居を跨いで数メートルは進んだ気がするが、まだ先があるように思える。
佐々木は暗闇の中に前進する家族の影を追いながら思った。振り替えると数メートル先に廊下が、ぼんやりとオレンジ色に照らされている。
それにしても暗過ぎる。明かりが欲しいなぁ。
佐々木は懐中電灯で部屋の中を照らそうとしたが、手ぶらだったことに気づいた。
あれっ? 懐中電灯は? さっきまでこの手でしっかりと握りしめていたはずなのに?
佐々木は夢中で今まで扉を開けていたことすら忘れて、真っ暗闇の部屋の中を歩いていた。
そうだ扉を開けるとき、廊下の隅に置いたんだった。
懐中電灯を廊下に置き忘れたことに気づいた佐々木の目に、まだ廊下で部屋に入る順番を待っている横山の顔が見えた。佐々木は横山に懐中電灯を持ってくるように叫んだ。廊下から、わかった! という横山の微かな声が返ってきた。佐々木は歩を止めて、横山がくるのをその場で待つことにした。部屋に入ってきた家族は川の流れのように部屋全体を満たしながら、先が見えない奥へと進んでいる。まるで何者かに引き寄せられているかのように、一心不乱に奥へ奥へと歩いている様子が、視界の利かない暗闇の部屋の中でも聴覚を通してわかった。真っ暗闇の部屋の中では畳を擦る乾いた音と、荒い息づかいの他は聞こえなかった。そのとき佐々木は井上の姿が見えないことに気づいた。
あいつはどこだ? あ、そういえば、民宿の主人と踊り場で何やら話し込んでたなぁ。
「佐々木、どこにいる?」
その声に佐々木は振り向いた。部屋の入口付近で懐中電灯の光を振り回して、右往左往している横山が見えた。
「こっちだ!」
佐々木を右手を挙げて応えた。佐々木の声に横山の懐中電灯の光が獲物を捕らえて、人込みを掻き分けて近づいてきた。佐々木は横山から懐中電灯を受け取ると、横山に疑問に思ったことを話しながら足元を照らして奥へと進んだ。
「この部屋、十二畳にしては広いというか、奥が深いと思わないか? もし十二畳ならここに全員が入るのは無理だろ?」
「確かに」
横山が懐中電灯の光を振り回して辺りを照らした。奇妙なことに光は部屋の壁に当たることはなかった。
「廊下はあんなに向こうだぞ」
そう言って佐々木は横山に後ろを振り向くように促した。
「この部屋だけ十二畳じゃないんじゃないか? あ、でも、建物の外観からはそんな風には見えなかったよなぁ?」
佐々木は考え込む横山の顔を懐中電灯で照らしていた。亡霊のように白く浮き上がった横山の顔は、強烈な光を受けその表情から感情を読み取ることはできなかった。
「明かり点けます!」
不意に民宿の主人の声が響いた。そして部屋の照明にジーッという電気が通う音がした。どうやら佐々木と横山が一旦立ち止まって考え込んでいるあいだに、他の者たちは全員部屋の奥へと進んだようだ。二人はいつのまにか行列の最後になっていた。照明がパッと点いた瞬間、視界が真っ白になって何も見えなくなった。目が明かりに慣れるまで2、3秒瞼を閉じて、そしてゆっくり瞼を開いて部屋の中を見渡した。その瞬間、佐々木と横山は反射的に瞼を手で擦って辺りを凝視した。
「ええっ!」
嘘だろ!
二人は自分たちが立ち止まっている場所に驚いた。不思議なことに二人はまだ敷居を跨いだすぐのところに立っていた。佐々木は驚かずにはいられなかった。
部屋の奥に進んでいると思っていたのに! 確かに部屋の中を数メートルは入ったはずだ。なのにどうしてまだ入口にいるんだ! あれは全部目の錯覚だったのか? いやちがう! 横山も確認したことだ。
佐々木は横山に声を掛けた。
「なんでまだ入口なんだ?」
鼓動を打つ速度は声を発したことでどんどん加速していった。
「そんなことはない! 絶対奥まで入ってたぞ!」
横山が狐に摘まれたような顔で首を傾げた。
「さあ、どうぞ腰を下ろしてください!」
部屋の中で数十人が隙間を埋めるように何かを囲んで立っていた。民宿の主人が声を掛けて、一同にその場に腰を下ろすように促したが、佐々木には立っているだけでも窮屈な部屋に座り込むことなど無理だと思えそのまま立っていた。だが、中に入った家族たちは素直に主人の言葉に従った。
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