ドンッ! ドンッ!
俺の目に留まった憧れの人。それは大沢のおやじさんだった。空手をはじめた頃の俺は、兎に角目を肥やそうと空手の大会のビデオを見まくったもんだ。その中でもコイツはすげえや! って思ったのが、大沢のおやじさんだった。後になって、俺が憧れた選手が嫌な先輩のおやじさんだって聞いて、かなりショックを受けた。憧れてただけに、大沢を通して間接的に知るおやじさんはギャップだらけで嫌だったなぁ…。大沢は俺がおやじさんに憧れてるのを知ってて、わざと変なことをいってたのかもしれないけど。まあ、よく悪口をいってたわ。
ドンッ! ドンッ!
俺は大沢のおやじさんに手を差し延べたんだ。ちょっと身体を起こしてもらおうと思ってね。すると大沢のおやじさん、俺の顔を見ながら他の親御さんたちに笑顔で変なことをいったんだ。
「彼が我々を救ってくれますよ!」
ドンッ! ドンッ!
なんかよくわからないけど、皆、俺にヒーローを見るような眼差しを向けてたよ。俺は思ったね。皆、何で俺に救ってもらいたいのって。ほんと奇怪しな夢だったなぁ。逢う人逢う人から救ってくれっていわれるんだもの。夢の中のことだからねぇ、まあこんな理由のわからないことも多々あるよ。でも実に変だったよ。
ドンッ! ドンッ!
でもなぁ、やっぱ気になったから、理由を訊こうと大沢のおやじさんに訊ねようとしたんだ。すると意気なり予想外なことをされてブッたまげたよ。俺はそのことで大沢のおやじに抱いてた憧れは完全に消えちまったんだけどね。あの野郎、夢の中で意気なり俺のボディーに強烈なパンチを叩き込みやがった。貰ったのはたった一発だったけど、瞬間的に意識が遠退いていくのがリアルに感じられた。薄れ行く意識の中で大沢のおやじの声が耳元で反響して聞こえたんだ。
「あの二人は駄目だったけど、彼なら申し分なく応えてくれそうじゃありませんか! しっかり勤めてくれますよ!」
ドンッ! ドンッ!
夢の中でも気を失って、そのまま完全に深い眠りに落ちて、目を覚ますと真っ暗闇だった。この闇は夢じゃない現実の闇だ。リアルな夢を見た後だけに、目覚めは良くないね。あの夢は夢だったけど、無性に怒りを覚えるよ。大沢の野郎、親子揃って俺に理由のわからねえ仕事を押しつけやがって、ふざけんなよ! 何が申し分なくだよ! 俺ならしっかり勤められる、なんて勝手なこといってんじゃねぇよ!
ドンッ! ドンッ!
それにしてもどうしてあんな変な夢を見たんだろ? どうして皆、俺に救いを求めてきたんだ? やっぱあの民宿のおやじがいってたとおり、あの部屋を開けてしまったから皆命を奪われてしまったか、あるいは気でも狂れてしまったんだろうか? もしも死んでしまったのなら、その亡霊が俺に夢の中で救いを求めてきたんじゃないかなぁ? ま、まさか本当に皆、死んじまったわけじゃねぇだろうなぁ? もしもそうなら幸にして、俺は民宿のおやじに二階から突き落とされて死なずに済んでよかったぁ!
ドンッ! ドンッ!
フゥーッ! やっぱ、うるさいよっ! 真っ暗過ぎて何もわからないけど、うるせぇから意識がはっきりしてきたわ。俺は生きてるぞ。夢で救いを求めてきた部員たちや、その家族の亡霊は一人だけ生き残った俺に供養を願ってるんだろうな。きっと。あの村で亡くなった子供たちの成仏を願った親の亡霊のように。でも、救いを求めて縋り寄るのは楽なことだけど、救いを求められるほうの身にもなって考えてもらわないとなぁ。困るよな。しかし、ほんと困ったもんだ。どんなときも俺に厄介な仕事を押しつけるのはどういう理由だ? 俺は観音様じゃないんだぞ!
ドンッ! ドンッ!
俺以外の連中は祟りだの幽霊だのといって、自分の妄想が作りだした幻影に意識を掻き乱されちまったけど、俺はそんなものが実在しないことに早く気づけて良かったと思うよ。先輩は内定ももらえず苛立ちのあまり情緒不安定だったから、余計に被害妄想に精神やられてたんだろうな。祟りや幽霊なんて、あの村には何もなかったのに。ほんとバカだよ。民宿のおやじは俺の忠告を無視したけど、現実を見なきゃ駄目だよな。皆、もっと自分が今どういう状況に置かれているのか、客観的に見る癖をつけなきゃ駄目だよ! 勝手な憶測に縛られてたら、マジで頭が奇怪しくなっちまうぞ!
ドンッ! ドンッ! ドンッ!
あーあ、それにしてもどうして皆、そんなに不安を抱え込んぢまったんだ? 将来は真っ暗闇だけど、絶望するにはまだ早いような気がするけどな。俺も来年は就職活動だから、空手の稽古も今年限りだろうなぁ。適当に誰かのコネでいいとこに就職できればいいけど、大沢のようになるのは真っ平御免だな。まあ、その時期がくれば、俺を就職の不安から救い出してくれる誰かが現れるだろう。と、勝手ながらそう期待する。人生なんてそんなもんだもん。
ドンッ! ドンッ!
しかしさっきから表で何やってんだよ! ドンドンドンドン! うるせぇだろっ! もうちょっと静かにしてくれよ。なんか無性に眠むいんだよねぇ。だから、お願いだから、静かに休ませて。
ドンッ! ドンッ!
ドンッ! ドンッ!
無枯荘の二階の一室は完全にもう誰にも開けられないように塞がれた。憑坐の要望に応えたことで、家族の者たちは一命を取り留めることができた。無枯村を離れ、家路に向かう家族の者たちの手にはピンク色の石が握られていた。怪しい輝きを放つ不思議な石。民宿の主人はその石を仏舎利と言った。その石の輝きは無枯村で我が子を失った親たちの哀しみを浄化させた。子供を亡くした親はその石を我が子の形見と信じ、いつの日も肌身離さず語り掛けることを忘れなかったと言う。
了
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