「お、おい! 山路! どうした。大丈夫か!」
受話器の向こうで坂上の声が微かに聞こえている。俺は坂上に救いを求めようとしたけど、声にならなかった。脳裏に甦った愛ちゃんの正体に言葉を失ったからだ。
まさか、あの人が愛ちゃんだったなんて。
俺は心の中で嘆いた。
コンパの席で俺の両隣りには女が座っていた。一人は坂上の彼女の香織。そしてもう一人は俺よりも一回り以上年齢の離れた生命保険の営業のおばさんだった。どんなバカでも香織が愛ちゃんでないことはわかる。ということは、愛ちゃんって、やっぱりあの保険のセールスレディーの花田さんってことだよな。目に見える物全てが真っ白に色褪せていき、全身の体毛が俺のため息で一斉にウェーブした。
愛ちゃんこと花田さんは、喉元が羽毛をむしったニワトリのように筋張っていた。その細く貧素な首筋に反して、ほっぺはフグのように膨らんでいる。大きなその頬に無理矢理押し込まれたぼた餅のような丸く張りのある鼻は毛穴が開いて清潔感は皆無。フナのような小さな丸い口は常に半開きで、鼻詰まりの声は生理的に不快感を招いた。目は細く小さいのが二つばかし、擦れて抜け落ちた眉毛の下方に左右並んでついている。
俺は彼女と話しているときは、大きな鼻の割りに小さい三角形の鼻の穴が気になって、そればかり見ていた。
「あ、愛ちゃんって、あのおばさんのことだったのか……」
俺の声は完璧に死人に近かった。
「おばさんって、おまえ、それ失礼だぞ。愛ちゃん、おまえと16も年が離れてること気にしてたんだ。多分、おまえの前ではそんな素振りは見せなかったと思うけど」
「そ、素振りって、何だよそれ? 愛ちゃん、愛ちゃんってさっきからうるさいよ! 俺、花田さんが愛って名前だなんて知らなかったぞ!」
「え? 言っとくけど、愛ちゃんって名前じゃないぞ」
「ええ! というと?」
「愛ちゃんの名前って花田華子じゃないか。おかしなやつだなぁ。愛ちゃんと付き合ってたのに、何でそんなこと知らなかったんだ」
「だから! 俺はあのおばさんとは付き合ってないつーのっ! でも、花田華子なのに何で愛ちゃんなんだ?」
俺を花田さんの彼氏だと勝手に決めつけてる坂上を、俺は友人とは思いたくなかった。
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