「ああ。香織によると愛ちゃんの口癖が『愛が欲しい!』とか『愛して!』なんだって。まあ、兎に角、何につけても必ず言葉の端々に愛を連発するらしいんだ。それで誰が言い出したのか知らないけど、そう呼ばれるようになったんだって」
なるほどなぁ…。
しかし、妙だ。これほどまでに俺が花田さんとは交際してなかったと言ってるのに、どうして坂上は俺を無視して話を進めようとするんだ? この坂上の無視しつづける姿勢は、敢えて俺の言い分に触れないようにしているようにしか思えないのだが。
俺は受話器を耳に当てたまま、強引に俺と花田さんをくっつけようとしているようにしか思えない坂上を無視して、花田さんに逢ったあのコンパでの事を思い出していた。
あのコンパは今から思えば実に奇妙だった。俺は待ち合わせの時間に少し遅れて行った。知らない居酒屋だったから、探すのに手間取りようやく見つけたときには5分遅刻していた。5分くらいの遅刻はいいだろうと思うが、坂上の彼女は時間にうるさくて、絶対に遅刻は許さないという気難しい女だったから、坂上から絶対に遅刻だけはしないようにと注意されていた。でも、俺は遅れてしまった。
俺は坂上と香織の二人に嫌味を言われるのを覚悟して暖簾を潜った。
すると店の奥の座敷から香織が身を乗り出して、俺に向かって手を振っているのが見えた。俺は反射的に頭を下げて、遅刻したことを作り笑いで詫びた。
俺は早速香織から何か注意されるものだと覚悟した。しかし、彼女は初めて逢ったときと同じく笑顔を保ったままだった。坂上から、香織は何処の誰であろうが、遅刻した者には容赦なく、その場で斬り捨てると聞いていただけに、彼女の笑顔は恐ろしいものを予感させた。
襖を開け、座敷を覗くと長方形のテーブルを挟んで左手側の奥から知らない女性、坂上、もう一人知らない女性が席に就き、右手側の奥にも一人知らない人が席に就いていた。
一通り香織の女友達の顔を見終わると、俺はただちに帰りたい気分になった。
座敷にいた女性たちは、どの人も俺の期待を裏切る面構えだった。俺の興味は一瞬にして萎え、これからこの連中と時を過ごすのかと思うと、仕事の疲れがどっと押し寄せてきて憂鬱で堪らなかった。まだ隣の席のサラリーマンと相席する方が気楽で良いと思えたほどだ。
靴を揃える俺に、香織が奥に詰めて座るように促した。俺は指示に従ってテーブルの右手側の空いた席に腰を下ろし、続いて俺の左側、襖側に香織が座った。
俺や坂上以外にも知り合いがいたからだろうか、香織はずっと笑顔を保っていた。俺は席に就いてからも、香織の笑顔が気になって、なかなかその場の打ち解けないでいた。そんな俺は香織や坂上から見れば、緊張しているように見えたのだろう。確かに緊張はしていたが、坂上たちが思っているようなことで緊張してるわけじゃなかった。
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