「外国人作家のコーナーの前に立ったときです。グリムの白雪姫を見つけました。私は透かさずそれを手にとって、ついでだと思いもう一冊買ってみることにしたんです。それは当時の私には聞き覚えのない作品でした。私はその本を棚から引っ張り出して、二冊持ってレジに向かったんです」
「御購入されたその一冊が不思議な本なわけですね!」
俺は興奮している花田さんをしかとした。
「病室に戻ると早速読みはじめました。白雪姫は内容がわかってたから、後で読んでもいいだろうと思い、もう一方から読み進めることにしたんです。3ページ目に差し掛かったとき、私は過去の記録を塗り替えたことに大きな喜びを覚えました。そしてこの調子で記録更新を図ろうと、どんどん読み進めていったんです。不思議なことに読んでいる間、全く嫌気が差しませんでした。物語の中にぐいぐい引きずり込まれていったんです。しかし」
「しかし!」
「しかし読むページが進むに連れて、或る大きな疑問が横たわってきたのも事実でした」
「疑問、ですか?」
「ええ。疑問です。それは童話にしてはかなりヘビーな内容じゃないかって。こんな童話は子供の頃にも聞いたことがないってね。でも、まあ童話の原作本は皆んなこんなもんだろうと思い、最後のページに向かって読み進めていったんです。読んでいる間は寝食を忘れることができました。友人たちが誘いにきても、読み終わるまでは駄目と断っていたくらいです」
「私もそういうことよくあります。一気に読まないと読んだ気がしないんですよね」
その時になって俺は初めて花田さんの方に視線を向けて微笑んで見せた。が、その動作に深い意味はなかった。けど、変に誤解されたんじゃないかと思い、すぐに真面目な顔に戻した。
「兎に角読み進めました。ページが進むに連れ、どんどん本の中の世界に入っていくのが楽しかったんです。そして遂に読み終わったとき、強烈な衝撃を心に受け、単純に思いましたよ。感動した! って。私の人生観、特に女性に対する見方や、恋愛に対する諸々は、この一冊で変わったと思います。その後、私は新たな衝撃と感動を求めて、次々に名作を読み漁りました。しかし、あの本を超える作品にはまだお目にかかったてません」
「ところで疑問は解消されたんですか?」
「ええ。私の疑問が解消されたのは、読み終わってしばらくしてからです。その本は童話じゃなかったんですよ。恋愛小説でした。私は本屋で見つけたときは、そんなこと全然知らなかった。ついでにその本が名作だったことも知りませんでした。
私は友人たちにその本を読ませました。感動を伝えたかったから、ただそれだけのために嘘を吐いたんです。恋人募集中の人には、この本を読み終わる頃には必ず彼氏、彼女が現れてるはずだと大法螺を吹きました」
そのとき、花田さんの荒い鼻息が坂上の演説の声よりも大きく鳴っていることに気づいた。話の先が知りたくて落着かないようだ。俺は一呼吸おいて話をつづけた。
「でもそれは法螺にはならなかったんです」
花田さんの大きなため息が聞こえた。
コメント