怪談

【けっ、け、け、け、け、けぇ】  その3

そのときハッと物思いから目覚めた。

 

もしかして、あのとき二人を褒め称えなかったから、こんなチンケな引き出物になったんじゃないか!

 

そんな思いが過ぎったので確認のためメイちゃんの引き出物をこっそり見せてもらうことにした。

 

テーブルの下を覗くと、奇妙なことにメイちゃんの足元に純白の大きなダンボール箱が置いてあった。それには引き出物と赤くマジックで書かれていて、メイちゃんの名前も書いてあった。嫌な予感がした。

 

オレのはコンビニに売ってるような安物のペラペラの紙袋だったのに、おまけに軽々と小指で引っ掛けて持って帰れそうなのに、メイちゃんのはズシリと重く、キャリーがなければ持ち運べそうにない。オレの直感に狂いはなかった。

 

包装のガムテープをメイちゃんに気づかれないようにツバでふやかしてそろそろと剥がす。中の包みを丁寧に引きちぎると品物が露になった。その途端、

 

あ、いいなぁ…。

 

オレはなんとも言えない寂しさと孤独感に包まれて、またもや今日こなけりゃ良かったのにと後悔してしまった。

 

思わず羨望が小声で漏れた。

 

メイちゃんの引き出物は真空パックにギューギューに押し込まれた大きな生肉の塊だった。わかりやすいように神戸牛フルセットのラベルが貼られている。

 

神戸牛が高価というのは風の噂で聞いたことがある。グラム数百円、いや数千円かもしれない。見た感じダンボールに詰まった生肉は30キロ以上はありそうだ。ため息が止めようにも止まってくれない。

 

思い直して席に戻る。司会を務める元アナウンサーは得意のトークでお客の心を釘付けにしようと必死だけど、誰も聞いちゃあいない。ほどなく乾杯を済まし、来賓客の挨拶に移った。

 

虚ろな目で雛壇のココちゃんを眺める。子供用の腰掛を用意してもらったのだろう。新婦よりも拳一つ分高く見える。不意に背後から女の細い腕が伸びてきたかと思うと、目の前のコップに赤い色のワインを注ぎはじめた。

 

おいおい、勝手に注がれても飲み代持ってきてないぞ。オレは一寸怖い顔を作っておねえさんに、

 

「ちょ、ちょっと待った! これ、一杯いくら? ここって席着いただけでも結構取られるんじゃないの?」

 

するとおねえさん、雛壇のココちゃんを顎でしゃくり上げて笑顔で、あの二人のオゴリですって、メイちゃんのコップにもなみなみと注ぎはじめた。

 

フゥーッ。

 

なんだよ。タダならタダってわかるように入り口に貼り紙しといてくれよ。

 

ともかくオレはホッと胸を撫で下ろして、赤色のワインを口に含んでテイスティング。

 

味は普通。コップが空になる度に、右手を挙げて注いでもらってたら、一寸酔っ払ってきたみたいでブルーな気分がパッと赤くなった。

 

身体が酒樽になったんじゃないかと思うくらい飲んで、レッドな気分になったのに、まだなんか焦げるほど情熱的になれない。喉に突き刺さった鯛の骨を引き抜こうにも、そこまでなかなか指が届かないときと同じ感覚だ。

 

ふと何の脈絡もなくさっきまでの不安の要因が脳裏に蘇った。

 

「アーッ、そうだったぁ!」

 

思わず声を出してしまった。お祝儀の10万円は無駄ではなかったのかもしれないってことが、なんとなく感覚的に理解されてきた。

 

しかし、それを思い出した途端、さっきまでのほろ酔い気分は木枯らしが吹きぬけたように姿を消し、さっきよりももっともっと濃厚なブルーになってしまった。これ以上いくと鬱になりかねん。

 

考えれば考えるほど不安がオレに纏わり付いてきた。あの肉塊はあくまでもメイちゃん名義の代物、それは遠まわしにオレには食わせるなってことだった。おまけにメイちゃんは自他共に認めるベジタリアン。これって嫌味だよな…。

 

てことは、なに?

 

ココちゃんって、実はオレのこと嫌いだったの?

 

たまーに可愛がってくれてたのに…。

 

ふと聞き覚えのある声に目を細めると、雛壇の傍でテレビにちょくちょく出ている名前の知らない代議士がマイクを握り締めて日本の将来について熱く語っていた。

 

「…年金問題、…ですからね、お二人には最低でも三人は子供を作ってもらわんことにはいかんのです」

 

脳に溜まったワインのせいか、頭がボーッとして肝心なところを聞き逃してしまった。

 

子供を三人作れば年金がどうだというのだ。

 

子供が三人以上の家庭は月々の年金の支払いがチャラになるってのか。

 

それとも三人できたところで年金が下りるってのか。

 

どうにも気になってメイちゃんに訊いたら、

 

モッ!

 

怖い顔で睨み返された。

 

オレは仕方なく今話している内容から前文を推理することにした。

 

「長々とお話ししましたが、お二人とも末永く…」

 

え、もうおしまい?

 

その後この代議士が語ることはなく、マイクの順番待ちで苛々しているオジサンにタッチして、席に就くことなくそのまま引き出物を抱えて鳳凰の間から出て行った。

 

ほどなく料理がテーブルの上に並べられはじめたが、新郎新婦を前に知らないオヤジが入れ替わり立ち代りマイク片手になにやら自慢話をはじめていた。

 

新郎新婦の知り合いなのだろうが、全然面白くない話をして誰も聞いてないのに一人で盛り上がっている姿は見ていて悲しいものがある。

 

オレは料理が並べられるや否やたちどころに口に放り込んでいった。

 

出された料理は思いのほか不味かった。即座に帰りにラーメンを食おうと決意した。

 

オレと違い食うのが遅いメイちゃんは、時折頭に載せた角隠しのズレを気にしながら慎ましくお上品に食っている。生まれてこのかたベジタリアンの彼女はしっかり咀嚼しなけりゃ気がすまない神経質なところがあった。

 

右隣の和服のオバサンがさっきから料理を口に運ぶ度に入れ歯がズレて、クチャクチャ下品な音を立ててやかましい。いくら身なりを上品に飾り立てても下品な食い方をすれば幻滅だ。いつしかその音は自慢話に興じるオヤジの声を掻き消し、オレの神経を激しく刺激しはじめた。

 

瞼を閉じ次の料理を待つ。五感を一つ塞いだことで母親譲りの嗅覚が本能剥き出しに騒ぎはじめた。

 

タンパク質の香ばしい焦げた匂いに、ほのかに焼ける血の匂いが絡んでいる。食欲を増すその匂いを包み込むように香辛料の芳しい香りが鼻を衝いてくる。

 

コトンと皿がテーブルに置かれる音と共に目を開くと、分厚いステーキが皿に乗っているのが見えた。焼かれて間もない肉の表面からは湯気が立ち上っている。その空気の揺れに腹の虫がギュルルルゥ、ギュルルルゥ(早く食わせろ、早く食わせろ)と催促してきた。

 

久々の肉の塊に顔の筋肉が緩む。顎に滑り気を感じたもので手でなぞると、半開きの口から溢れ出た唾液でベトベトになっていた。

 

喜びのあまりメイちゃんの顔を見やる。透かさずメイちゃんは首を左右に振り、目を背けてオレの皿にステーキを放り投げた。メイちゃんが大の肉嫌いなのを一瞬忘れてしまったオレは、ついでに彼女の理解ある夫であることも忘れていたように思う。

 

宙で半回転したメイちゃんのステーキはオレのステーキと接触した瞬間、バウンドするかと思いきやそうならず重なって動きを止めた。

 

肉の表面は綺麗に瘡蓋風に焦げていた。なかなか良い具合だが中はどうだろう? そう思い、割り箸で一刺し。

 

ズズッ!

 

太い割り箸の先が肉の圧力に押し戻されることなくすんなり突き刺さった。表面の焦げ具合とは裏腹に中は半生のようだ。両手に箸を持ち、ステーキを切ってみる。驚いたことにステーキは第一印象を損なうことなく焼き豆腐のように簡単に切ることができた。

 

一口頬張るとたちどころに芳醇な牛の血の香りが口の中いっぱいに広がり、勢い余って鼻腔から外に溢れた。至福のときがようやく訪れた。ステーキよりも牛筋の方がオレは好みだが、この際肉なら何でも良かった。普段食っている特売の業務用の安い肉と味が違う。ということは、売り物にならない腐った肉か、あるいはその反対に特上の肉ということだろう。久しぶりの肉の歯応えについついどうでも良いことを考えてしまう。

 

しかし、わざと気づかないふりをしていたが、幸せを満喫するオレを隣で蔑む目で見ているメイちゃんが気になってしょうがない。

 

「メイちゃん、今日は目出度い日だから肉食ってもいいじゃない」

 

もっ!

 

メイちゃんときたら、こんなことを言うオレに呆れたのか、瞼を閉じてそっぽを向いてしまった。

 

メイちゃんの前で肉を食ったことはない。元来肉食のオレは彼女に内緒で外でちょくちょく食っていた。ベジタリアンの彼女は心底肉を食うヤツラを軽蔑していて、だからオレも彼女に嫌われたくないからベジタリアンぽく振舞っていた。

 

咀嚼される肉の塊。舌に乗せて転ばして弄ぶ。それは噛めば噛むほど血の味が唾液に溶けて、オレ好みの味に変わっていった。

 

それにしても、こんなに柔らかい肉は初めてだ。これなら隣のオバサンも入れ歯を気にせず食えそうだぞ。そうに思い、親切にアドバイスしてやることにした。

 

「あ、隣の知らないオバサン。これ、入れ歯外して食えますよ」

 

オレは笑顔を絶やさなかった。言葉も営業で培った丁寧なものだったと思う。

 

なのに、オバサンはありがとうの一言もなく、代わりにムッとして真っ赤な顔で睨み返してきた。黒目よりも黄疸のある白目に反射する照明の輝きが印象的だった。

 

オバサンの白目に見とれているのも束の間、オバサンはフンッと鼻息を鳴らして、メイちゃんみたいにそっぽを向いてしまった。親切に教えてやったのになんて失礼なオバサンだろう!

 

たちどころに怒りの炎がメラメラと立ち上った。早く消化しないと丸焦げになっちまう。

 

しかし、ここはココちゃんの一生に一度の晴れ舞台。ここでキレルのはあまりにも大人気ない。オレは怒りを抑えてメイちゃんがくれたステーキを切らずに一塊のまま、口に押し込んでオバサンにベーした。

 

そのとき理由もなく向かいに座っている眼鏡オヤジが喧嘩を売ってきた。

 

「君、失礼だろ! 隣の御婦人に詫びたまえ!」

 

眼鏡オヤジは右手にナイフ、左手に三つ又の串を持ってオレを脅している。

 

なぜオバサンに詫びなければならないのか? 理由がわからない。それになぜ眼鏡に脅迫されたのかそれもわからなかった。

 

こんな洒落た鳳凰の間で殺されてたまるか!

 

メイちゃんと四人の子供を遺してオレ一人で葬式するなんて考えただけでも緊張して吐き気がする。

 

ああだこうだと考えている間に、手に持った武器で襲い掛かられそうだったので、ここは一先ずオバサンに詫びることにした。

 

「隣の知らないオバサン、ゴメンナサイ」

 

詫びたらなんか自分が惨めに思えてきた。完全に鬱になりそうだったので、ここは一つ胃に食い物を詰めて少し落ち着きを取り戻したメイちゃんを相手にすることにした。

 

「ねえねえ、メイちゃん」

 

もっ!

 

あ、食事中のメイちゃんには話しかけるな! って家訓をうっかりしてた。

 

なによりも食うのが大好きなメイちゃんは食事の邪魔をされると相手構わず嫌な顔をした。

 

オレはすぐに誤った。こんなとこで嫌われて離婚なんてことにでもなれば縁起が悪い。選りに選って今日はお日柄も良く友引だぞ。仮にメイちゃんと別れて、誰かと再婚したとしても、今日の因縁で離婚のカルマにはまればエライことだ。

 

誰からも構ってもらえないオレは一人物思いにふけることにした。ところ狭しと配置されたテーブルの隙間を縫うようにビール瓶を片手にオヤジ共がカニ歩きで落ち着きない。

 

とてつもなくブルーな気持ちに恐怖すら覚えるが、それを紛らわすかのように一昨日覚えたばかりのタバコに火を点けた。

 

フゥー フッ フゥー

 

白い煙が殺虫剤のスプレーを噴射するかのように口と鼻から出ていく。浅く吸って長く吹くとジワリと気分が和らいだ。

 

ゴホ、ゴホッ!

 

ヒィー ゴホゴホゴホッ!

 

入れ歯のオバサンが突然咳き込みはじめた。

 

持病による発作だろうか? と思ったけど、このオバサンとは初対面なのでどんな持病を持っているのかも知らないことに気づきシカトした。

 

オレの忠告を無視したバチが当ったんだろう。無理に入れ歯を着けたままステーキを食おうとして、噛み切れず塊が気管に詰まったのかもしれん。どちらにしてもオレの知ったこっちゃない。

 

「誰か! 早く救急車呼んでちょうだい!」

 

入れ歯のオバサンの連れらしきオバサンが青ざめた顔で悲鳴を上げた。

 

入れ歯のオバサンは赤色のワインを飲みすぎたせいで顔は真っ赤になっていた。気分も大層良かったのだろう、手足をバタバタさせて突然踊りはじめた。

 

まったくいい気なもんだ。オレは祝いの席なのにどうしようもないくらい淋しいってのに、酔っ払って椅子に掛けたまま踊り出すとは、これはオレへのあてつけか?

 

そう思っているとオバサンは人目もはばからず今度は座った姿勢から足をピンと伸ばして、大きく仰け反って床に倒れ落ちると身体を床に激しく打ち付けて全身を使って踊りはじめた。一体何処の民族の踊りだろう?

 

いつの間にか真っ赤だった顔色が紫色に変色して、白目を向いて上目使いでオレを見つめてきた。瞬きしている間もなく早代わりをしてみせるとは、どうやらただのオバサンじゃないようだぞ。

 

オバサン、何気にオレに気があったのかも?

 

悪いがオレにオバサンの趣味はない。妻のメイちゃんの次にも愛す予定はない。

 

以前何度かココちゃんに風俗に行こうよと誘われたけど、その都度携帯の待ち受け画面のメイちゃんの怒った顔に迷いを打ち払われた。

 

「ゴメンネ。オバサマ」

 

オレはオバサンの耳元に顔を寄せ小さく囁いた。オバサンはふられたことがショックだったみたいで、プイとそっぽを向いて乱暴に手足をバタバタさせた。

 

聞き分けのない子供のようなオバサンだけど、その仕種にはどこかハートをくすぐるものがあった。オバサンの求愛には応えられない。しかし、見るだけなら情事にはならないと思い、オバサンが全身で披露する熱愛の舞を最後まで見届けてやることにした。

 

初めて見る珍しい踊りに、いつしかオレは魅せられていった。目は釘付けになり、口に咥えたタバコは1本また1本と増え、どこからともなく現われた白いヘルメットの二人組みがやってきたころには12本も咥えていた。

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八木商店

コメディー、ファンタジー、ミステリー、怪談といった、日常にふと現れる非日常をメインに創作小説を描いてます。 現在、来年出版の実話怪談を執筆しております。 2020年(株)平成プロジェクト主催「美濃・飛騨から世界へ! 映像企画」にて八木商店著【男神】入選。入選後、YouTube朗読で人気を博し、2023年映画化決定。2024年、八木商店著【男神】が(株)平成プロジェクトにより、愛知県日進市と、東京のスタジオにて撮影開始。いよいよ、世界に向けての映画化撮影がスタートします。どうぞ皆様からの応援よろしくお願い致します。 現在、当サイトにて掲載中の【 㥯 《オン》すぐそこにある闇 】は、2001年に【 菩薩(ボーディサットゥバ) あなたは行をしてますか 】のタイトルで『角川書店主催、第9回日本ホラー小説大賞』(長編部門)にて一次選考通過、その後、アレンジを加え、タイトルも【 㥯 《オン》すぐそこにある闇 】に改め、エブリスタ小説大賞2020『竹書房 最恐小説大賞』にて最恐長編賞、優秀作品に選ばれました。かなりの長編作品ですので、お時間ある方はお付き合いください。 また、同じく現在掲載中の【 一戸建て 】は、2004年『角川書店主催、第11回日本ホラー小説大賞』(長編部門)にて一次選考通過した作品です。

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