怪談

『㥯(オン)すぐそこにある闇』第3節-2

それから次第に誰とも話さなくなったんだと思います。石とばかり話すようになってそっちのほうが楽しくなったんでしょう。俺もだんだん気味が悪くなって、彼と逢うのを控えるようになったんです。でも、遠避けていたわけじゃないから、しばらくしてから久しぶりに彼の家に遊びに行ったんです。そのときは家には彼のお母さんもいました。でもそれは俺の知ってる彼の母親じゃなかった。俺は彼とは中学からの付き合いだったから、お互いの家族も顔見知りだったんです。俺の知ってる彼の母親はデブだったけど、そのとき見たおばさんはげっそり痩せ細ってました。驚きでしたよ。その何日か前に温泉に行く日に逢ったときはデブだったのに、一ヵ月も経たない内に別人になっていたんですからねえ。それで俺は気を利かせたつもりでダイエットしたんですかっていったら、おばさんの表情が一変して、息子が部屋から出てこないの! って。俺はええっ! って驚いて見せて話を聞いてみることにしたんです。

 

おばさんによるとこの村から帰ってから、彼は自分の部屋に閉じこもりがちになり、最近では全然家の外に出なくなったっていいました。家の中ではうろうろしてたみたいですよ。食事やトイレはちゃんとしてたみたいだから。部屋には鍵はないから出入りは自由らしいんですが、誰かと話してる声が聞こえるようになったそうなんですよ。それも一人や二人じゃなく大勢の声が。そして日に日に夜中に家の中を走り回る音も頻繁に耳にするようになったって。最初の内はねずみの仕業だろうと思ったそうなんですが、でもよくよく聴いてみるとねずみにしては歩幅も広く振動も大きかったそうなんです。さては息子だろうかと思って耳を澄ましてみたそうなんですが、よく聞くと彼の歩き方とはちがう。変だなあ、変だなあと思いながらじっと耳を澄ましていると、子供の声が微かに走る振動に紛れて聞こえてきたそうなんです。子供のはしゃいでる声に紛れて彼の笑い声も一緒に。おばさんは怖くなって、横で寝てるおじさんを起こして二人で耳を澄ましたそうなんです。すると子供の声で、お父さんって呼ぶ声が何度も聞こえたそうです。おばさんたちはお父さんって誰のことだって、二人顔を見合わせていると、彼の声で子供たち! さあ、お片付けの時間だよ! って。二人は目を丸くして驚いたそうです。まさか息子が誘拐! でも誘拐にしては変だ。息子の部屋で子供の姿は一度も見たことがない。昼間はどこに隠しているのかしら? でも、そんなはずはない、絶対にそんなことをするような子じゃないわ! と自分に言い聞かせてはみたものの、息子が子供を誘拐したんじゃないかという不安が消えることはなかった。

 

そのことについて昼間彼に訊ねても、奇怪しな回答しか返ってこないから余計に不安になり、彼の将来のことを考えると心配のあまり毎晩眠れない夜を過ごしていたんだそうです。まあ、それのお陰でダイエットできたみたいですけどね。で、話してる内に突然おばさんが号泣しはじめたんです、俺は突然のことで驚きましたけど、あの子が知らない人に変わってしまったって、奇怪しなことを叫んで床に崩れ落ちたんです。俺は意味がわからなかったから訊いたんです。すると彼は20歳のくせに容姿はまるで中年の痩せこけた男に変わってしまい、以前とはまったく別人になってしまったって。だから、もう外にも出られないのよって、狂ったように大声で泣き叫んだんです。俺は嘘だろ! って思い彼の部屋に走って行きました」

 

「で、どうだった?」

 

「おばさんのいったことは本当でした。彼の部屋にいたのは彼じゃなかった。俺の全然知らないおやじが一人でいましたからね。俺に気づくと彼は一言いいました。どうだ、俺の子供たちだ。可愛いだろって、誰もいない部屋を手で示してそういったんです。俺は怖かった。彼は全然気づいてなかったんです。自分が変わったことに。自分の状況が全然掴めてなかった。彼は石のせいで幻覚を見るようになり、自分自身の姿も変えてしまったんです。自分に暗示を掛けて変身してしまったんじゃないでしょうか?」

 

「自己暗示…」

 

「彼はこの村であのピンク色の石と出逢ったんですよ。村の人からここにあるものは移すなといわれてたのに、ついつい綺麗な石を見つけたばかりに魅了されてしまい忠告も忘れて持ち返ってしまったんです。多分、あの石を見つけた瞬間に村人の注意も忘れてしまったんでしょうね。もしかしたら石が語りかけてここから連れ出してって救いを求めたのかもしれません」

 

加藤の澄んだ声は山に鳴り響く蝉の声に掻き消されることなく井上の耳に届いていた。祓橋の上を流れる透き通った山水は川底の小石を転がし、大きな石に当ってはボコボコと水の跳ねる音を轟かせて辺りの静けさに一層透明感を与えていた。井上は加藤の話に意識を集中させていたものの、やはりその話を全て信じようとは思わなかった。石を拾ったこと、それが村人から注意されていたにもかかわらず自然の状態に手を加えてしまったから友人が変ったとはどうしても考えられなかった。

 

「最近逢ったのか? その友達とは」

 

井上は加藤に訊ねたが加藤は黙ったまま首を横に振るだけだった。

 

「じゃあ、友達は今でも子供を相手に部屋に閉じこもったままか?」

 

怪訝な表情で井上は訊ねた。

 

「アイツはとっくに死にましたよ」

 

井上の耳に蝉の鳴き声を引き裂いて、一瞬の静寂と共に加藤の微かな呟きが紛れ込んだ。

 

「え、死んだ?」

 

井上は一瞬声を詰まらせた。

 

「押忍。去年の冬。部屋でガリガリに痩せ細って、まるでミイラのようだったそうです」

 

「どうしてまた、食事は採ってたんだろ?」

 

井上の声は震え、鼓動はリズムを崩して急くように呼吸を早まらせた。

 

「死ぬ二ヵ月前から断食に入ったそうなんです。恐らく死ぬつもりだったんでしょう。遺書が残されていたんですよ。それには『馴染まない物ばかり食べたから苦しい。子供たちもここでは何も食べられないから、ひもじい思いをしている。子供たちがひもじい思いをしないように、早くあそこに連れて行ってやらなければいけない。ここにあるものを食べていたらあそこには行けない』って、そんな内容が書いてたそうです。俺、遺書にあったあそこってこの村里のような気がして、だからここにくるのは嫌だったんです。おやじになったアイツの亡霊に遇いそうだから」

 

そのとき不意に山間の海に抜けた村に一塊の大きな風が過った。夏場の昼間というのに薄暗いそこを、細切れになった風の一つ一つが木々の枝のあいだを揺すり抜けて、蛇が藪に逃げ隠れるようなガサガサという音を立てながら辺り全体をざわめかせた。

 

キャーツ!

 

大風に煽られた女性部員がスカートを抑えて声を挙げた。その声に釣られて井上と加藤は空を仰いだ。大きな黒い雲の塊が村に蓋をする形で伸しかかっていた。その様子に加藤はただならぬ不安を覚えたのか、頬を引きつらせた。

 

「先輩! この橋を渡ったら、俺もアイツみたいになってしまうんでしょうか?」

 

井上は加藤が抱く不安以上に村里の醸し出す雰囲気に怯えた。加藤をこれ以上怯えさせないためにも心配ないと一言返して、皆んなのところに行くように促した。だが、強がって見せたものの井上の心中は複雑だった。

 

「一雨来そうだから宿に急ぐぞ!」

 

主将の大沢剛が部員たちに声を掛けて車に乗り込んだ。祓橋を最初に渡ったのは主将の乗った車だった。それに続いて上級生から順に橋を渡って村に入って行った。井上の乗った車は最後にアクセルを踏んだ。祓橋を過ぎた所に、大きな一枚板に描かれた村の案内図が大きな松の木に打ちつけられていた。案内図の上段に『無枯村案内図』と大きく彫られていた。その下に墨で描かれたと思われる簡単な図があった。その図には無枯村の住宅地図も描かれてあったが、20件にも満たない小さな集落が描かれていた。無枯村と外界を繋ぐ道は祓橋に繋がる細い道が一本あるだけだった。地図によると祓橋の上を流れる小川は禊川というらしい。やはり、あの橋と川は昔から神事に使われていたようだ。

 

 

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八木商店

コメディー、ファンタジー、ミステリー、怪談といった、日常にふと現れる非日常をメインに創作小説を描いてます。 現在、来年出版の実話怪談を執筆しております。 2020年(株)平成プロジェクト主催「美濃・飛騨から世界へ! 映像企画」にて八木商店著【男神】入選。入選後、YouTube朗読で人気を博し、2023年映画化決定。2024年、八木商店著【男神】が(株)平成プロジェクトにより、愛知県日進市と、東京のスタジオにて撮影開始。いよいよ、世界に向けての映画化撮影がスタートします。どうぞ皆様からの応援よろしくお願い致します。 現在、当サイトにて掲載中の【 㥯 《オン》すぐそこにある闇 】は、2001年に【 菩薩(ボーディサットゥバ) あなたは行をしてますか 】のタイトルで『角川書店主催、第9回日本ホラー小説大賞』(長編部門)にて一次選考通過、その後、アレンジを加え、タイトルも【 㥯 《オン》すぐそこにある闇 】に改め、エブリスタ小説大賞2020『竹書房 最恐小説大賞』にて最恐長編賞、優秀作品に選ばれました。かなりの長編作品ですので、お時間ある方はお付き合いください。 また、同じく現在掲載中の【 一戸建て 】は、2004年『角川書店主催、第11回日本ホラー小説大賞』(長編部門)にて一次選考通過した作品です。

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