「夏だけどここは暑くない。この部屋だって見てみ、クーラーも扇風機もないぞ」
横山が言うと他の三人は部屋の中を見渡して、
「マジかよ!」
と不思議な表情で横山の顔を見つめた。冷房がない。それは四人に無枯村の夏が以前から暑くないことを教えていた。四人はこの不自然な村に新たな不審感を募らせていた。
「意識しなかったけど、ほんと暑さが気にならなかった。さっきおやじがビールのお代わりがどうとかいってたけど、こう暑くないと俺はそんなに飲みたいとは思わないよ」
水野が言った。
確かに練習を終えて水分を欲しがるはずの身体がビールを欲しがることはなかった。四人は食事を済ますと、満腹になった腹にだるさを覚えながらも民宿の主人に言われたとおりに各自でお膳を階段の下まで下げに行った。
稽古後の予定は合宿の段取りを組んだ副主将の西村から後輩に説明されることはなかった。井上は不審に思い水野にそのことを訊ねてみた。すると、
「おまえらが浜から帰ってくる前に、今日のミーティングはなしって西村さんがいったんだ。今日はもうこの後自由時間にするから好きにしろって。先輩もゆっくりしたいんじゃない?」
と言う返答が返ってきた。それを聞いて佐々木もホッとした表情を浮かベた。
やることも見つからず手持ち無沙汰な四人が、不気味な闇の蔓る夜の無枯村に出ることはなかった。何もやることがなく疲労感と満腹感で瞼の重さがやけに気になりはじめた頃、、井上は三人に向かって言った。
「まだ、9時前だけど布団でも敷いて横になるか!」
十二畳の和室に四人分の布団を敷いても随分畳が余って見えた。照明を消して四人は適当に布団の上に寝ころがると、疲れと眠気が一度に押し寄せてくるのが感じられ、しばしの恍惚を楽しむことができた。耳を澄ましても物音一つしない。どうやら他の部員たちも休んだようだ。しかし、その恍惚状態が不意に破られることになった。破ったのは心配性の水野だった。
「あのおやじが言ってたことって、信用できるのかなぁ?」
不安気に水野が訊ねた。
「おまえ心配性だなぁ」
井上が呆れて言った。
水野は民宿に着いた早々、部屋の隅々を御札が貼っていないか調べていた男だ。お化けだの幽霊だのといった怪談には異常に敏感に反応し、いつまでもその妄想を心から除外することができない小心者だった。他の三人とちがい水野は不気味な様相を漂わせる無枯の夜に恍惚感を楽しむことはできないでいた。
「なぁ、何か話そうぜ」
小さな声で水野は囁いたが、誰からも返答は返ってこない。つい今し方まで起きていた三人はもうすっかり寝息を立てている。
「なあなあ、おい!」
両隣の者を揺すってみたものの、もうすっかり深い眠りに落ちた井上と横山はまったくピクリともしない。水野は自分一人が暗闇に取り残され、心底目に見えない何かに怯えていた。
「佐々木! 佐々木! おまえ、起きてんだろ! なあ、佐々木!」
声を潜めて水野は井上の向こうに横になった佐々木に救いを求めたが、佐々木は大きな鼾を返すだけだった。
一人暗闇の中で眼球をキョロキョロさせる水野は、寒くないのに布団の中に潜り込んで身体を丸めてぶるぶると震えていた。彼は自分の想像力が生んだ不気味なイメージにただならぬものを覚え、全然寝つけなかった。音が何一つ聞こえない。誰もがもう深い夜の帳に眠りの中を彷徨っていた。水野が一人眠れないで不安と闘い、かれこれ一時間が経とうとしたときだった。
ゴトンッ!
何かが部屋の窓に強くぶち当たった。その瞬間、水野の髪の毛は一瞬逆立ち、こめかみは強く押さえつけられたような痛さを覚えた。
ドンドンドン!
何者かが確実に二階の部屋の窓を叩いていた。それも大勢の人が力強く。窓を叩く音に紛れて、話声が聞こえてくる。水野は耳を塞いで布団の中に潜り込むと、声に出してお経を唱えはじめた。
ドンドンドン!
窓を叩く音は一向に止もうとしない。水野は一心不乱にお経を叫んだ。
「頼む、帰ってくれ!」
何度も何度も強く叫んだ。そしてようやく窓を打ち鳴らす音と話声は聞こえなくなった。緊張から解かれると、水野は一気に眠りに就いた。
コメント