部員たちは同じ学年の者同士で何やら相談しはじめた。彼らがすぐにでも石を元の場所に戻したいのは言うまでもない。この急な展開に多くの者の心に迷いが生じていた。
「押忍、先輩! 一年同士で行きます!」
一年生の男が言った。それを聞いて二年生の男も、
「押忍!自分たちも二年の者たちで!」
後輩たちの大沢を拒んだ態度に、大沢は心細い表情を浮かべて一人ぽつんと道場の真ん中に寂しく立っていた。情けない顔で救いを求めるように四年生たちのほうを見ている。そんな大沢の心中を察したのか物静かな宮本が、彼に救いの手を差し伸べた。
「大沢! おまえがいいなら今からでも車出してもいいぞ!」
大沢は宮本によって救われた。主将という者は誰からも信頼される存在でなければならなかったが、後輩の誰一人として大沢を慕う者はなかった。そのことは思い上がっていた大沢の情けない姿を、大沢自身に露骨に見せつけることになった。大沢の表情は弱々しかった。そこには武道家を志す不屈の精神に燃える男の顔はなかった。大沢にとって空手とは自分を偽って見せるための道具でしかなかったのではと井上は思った。それはそのとき感じたのではなく、井上が入部した頃からすでに感じていたことだった。結局のところ大沢は空手を通じて本当の強さ、そして本当の弱さを知ることはできなかったのではないかとも思った。
「行くぞ!」
宮本は大沢に短く声を掛けると、四年生たちを引き連れて道場を去った。それにつづいて一、二年生たちも「俺たちも急いだほうがいいな」と声を掛け合って道場を後にした。けたたましい轟音を轟かせて雷が鳴り響いた。途端に槍のような激しい土砂降りが道場内に響き渡った。道場には三年生の六人だけが残っていた。
「この中で石を持って帰ったのは?」
向井が井上の目を見つめて訊ねた。井上は由香の視線に思わずゾッとした。
何見てんだよ! こっちを見んな!
誰も反応を示さない。すると突然由香が涙ぐんで「私だけなの?」と震えた声を漏らした。井上は黙って見ていたが、決して同情はしなかった。由香は声を殺して涙を流しつづけた。それを見かねた小山恵子が「私も行くから一緒に石を戻しに行こう!」と優しく励ました。井上は黙ってその光景を見ていた。それは佐々木も横山も同じだった。しかし水野だけはちがっていた。水野は小山が向井に同行すると言うなり、「車は俺が出すよ。急ごう!」と二人を急かした。井上はこの水野の反応で以前から水野に抱いていた疑惑の真相を解き明かしたような気がした。
薄々は気づいていたが、水野はやはり小山に好意を持っていたようだ。水野のことだ、これを機に一気に二人の距離を縮めるつもりだな。
井上には水野の善意な行為は、下心丸出しの見苦しい偽善行為にしか見えなかった。水野は女性二人の背を押すように道場から出ていった。そして道場には井上、佐々木、横山の三人と向井が持ち込んだ写真の束だけが残った。
土砂降りは益々酷くなっていた。まったく止む気配はない。井上が空の様子を気にして見ていると、佐々木が奇妙なことを口走った。
「俺の写真には子供たちはちゃんと写ってたよ」
井上は驚いて佐々木の顔を見つめた。すると横山が、
「実は俺も。ちゃんと写ってた」
二人は子供たちが写っていないとざわめく状況の中で、自分たちの写真には子供たちの姿が写っていると言えなかったらしい。何故だか写ってないことのほうが正しいように思えて、ついつい言い出せないでいた。井上は無枯村で撮った写真は一枚もなかった。だから何も心配の種は持ってなかった。デジカメに撮った画像をプリントアウトした由香は、佐々木と横山の写真に子供たちが写っていたことには気づかなかったのだろうか? 由香には他人を心配できる余裕はなかったようだ。
アイツは小山さんのように思いやりのある女じゃないからなぁ。水野が小山さんに惚れるのもわかるよ。
「しかしなぁ。大沢、いや四年が石を持って帰ってたのには驚きだったな。ところで水野と小山さんはどうだったんだ? おまえらのように子供はちゃんと写ってた?」
井上が訊ねた。
「いや、一人だった」
横山が言った。
「あの二人もそうだったのか」
佐々木が呟いた。
「いいや、向井さんだけだ。合宿初日の稽古の後、おまえら俺たちよりも遅れて民宿に帰ってきただろ。そのとき一、二年の連中が皆にあの石を記念に配ったんだ。向井さんはいくつか気に入ったのをもらってたな。小山さんも選んでたけど、水野が民宿のおばさんの言葉が気になるから止しときなって注意したんだ。それで小山さんはもらわなかったと思う。向井さんはそんなの迷信、迷信って全然気にしてなかったよ。俺は元々そんな物には興味ないからもらわなかったけどね。四年の先輩もそのときもらったんじゃないか?」
横山が言った。
「民宿に着いて早々、部屋に御札が貼ってないか確かめた水野らしい判断だな」
井上は水野が優しく小山に微笑み掛ける様子が想像できた。そのとき井上は自分たちが話している内容に奇怪しな点があることに気づいた。
「ちょっと待てよ! 写真に村の子供が写ってなかったことと、ピンクの石は関係ないんじゃないか!」
「じゃあ、どうして俺たちの写真には写ってたんだ?」
引きつった顔で佐々木が訊き返した。
「俺たちと他の連中で、何かちがうことって何だ?」
お調子者の横山の顔も引きつっている。
「もしかしたら祓橋じゃあ?」
井上は民宿の男の言葉を思い出していた。
「おやじの忠告を守ったのは俺たち三人だけだろうからな」
佐々木が大きく頷いて言った。
「でもやっぱ何かちがうんじゃない? だってお化けなんて出ねえっていってたのに、ちゃっかり出てきやがったんだからなぁ。あの人たちの話は信用できんよ」
横山は半信半疑だった。結論が出ないまま、三人は雨が小降りになるまで写真に現れた不可思議な現象の原因究明を議論し合った。
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