叫ぶと同時に母親は大急ぎで駆け出した。父親は血相を変えて取り乱しながら突然車に乗り込んできた妻に何事かと訊ねた。
「ど、泥棒! 泥棒が、健ちゃんの部屋にいたの!」
息を詰まらせ震えながら妻は言った。
「何ぃ! 泥棒だって!」
「お、おじいちゃんの泥棒が!」
「け、健は無事なのか?」
「わからない!」
言葉を吐いて崩れた母親は、そのとき日中しつこく掛かってきた不可解な電話の内容を思い出していた。
「加藤君の様子が奇怪しいんです! 恐らくお母さんは彼の変貌をご存じないと思いますが、今ならまだ間に合うんです。彼を救えるのは家族の方だけなんです!」
まさか!
電話でいってたことってこのことだったのかしら! でもそんな馬鹿なことが。でも。
「ええっ!」
母親は電話の内容を思い出し、驚きのあまり大きな声を出してしまった。母親にとっては信じがたいことだった。今のあの老人あの健ちゃんだなんて。
「おい、どうした!」
突然声を上げた妻に驚き父親は訊ねた。
「ど、泥棒じゃないのよ」
妻は確信を抱いて呟くように言った。
「どういうことだ?」
「あれは健ちゃんなの。健ちゃんがおじいちゃんになっちゃったのよ」
妻の声を震わせて崩れ落ちながら吐き捨てた言葉に、父親は妻から息子の大学の先輩から受けた奇妙な電話の内容を思い出していた。父親は妻の話を真剣に受け留めてはなかった。だがそのとき同時に彼は昨年息子から聞いた友人の奇妙な死の報告が思い出されていた。友人が変調を来したのは、ある村に旅に行ったことが原因だと息子から聞かされていた。亡くなった友人は加藤の父親も昔からよく知る子だった。旅から帰って以来部屋の中に閉じこもりがちになり、最後には衰弱してミイラのように痩せ細って亡くなってしまった。親御さんたちはその子を幾つもの大学病院に連れていったそうだが、原因は不明でわからないと言われ、現代医学ではまだ解明されない病気に感染してしまったのだと親御さんから聞いたことがあった。妻によると息子はそのことを知りながらも、夏にその村にサークルの合宿で訪れたという。
ま、まさか健もその村で奇怪しな病気をうつされてしまったのでは! 健もあの友達のように、いや、まさかそんなことはない! しかし、今日大学の先輩からあったという電話。内容は尋常ではなかった。
「おい! 本当に健だと思うか?」
「わからない」
兎に角、事実を確かめようと父親は妻を連れて息子の部屋に向かった。息子の部屋の前まで行き、父親はドアをノックしてからドアノブに手を伸ばした。
カチッ!
部屋は鍵が掛けられてなかった。父親は恐る恐るドアを開けた。
ギ、ギィー!
ドアはゆっくり開いた。部屋の中は真っ暗闇だった。廊下の照明は点いたり消えたりして心もとない。今にも切れそうだ。父親は明かりを寄せつけない部屋の中を、目を凝らして覗いた。
暗くてよく見えんなぁ。本当にここに男、いや健がいるのか? 人の気配がまったく感じられない。
父親は不審に思いながらも小さく声を掛けてみた。
「け、健、いるのか?」
暗闇が醸しだす不気味さが父親の呼びかける声を上擦らせた。
「健ちゃん! 今度はお父さんも一緒よ」
母親も父親の背後に隠れながら声を掛けた。応答は何もない。トントントン! ノックと共にもう一度暗闇の部屋に微かな声を投げ込んだ。
「おーい、お父さんだぞ。健いるんだろ、迎えにきたぞ」
ガサガサガサガサガサッ!
ヒュー、ヒュー!
「何だ!」
父親は暗闇の中から聞こえた物音に一瞬心臓が止まりそうになり声を詰まらせた。人の気配は感じられなかったのに誰かいる!
「だ、誰だ? 健か?」
まさか、健ではなくて本当に泥棒じゃあ!
父親は後退りしてドアから離れて、もう一度部屋の中を凝視した。
ガサガサガサガサガサッ!
スーッ、スーッ!
目に見えないが確実に暗い部屋の中で何かが動いている。
なんなんだ、この部屋は! 本当にこんな薄気味悪いとこで健は暮らしてるのか!
「あのおいさん誰なん?」
「あの人は僕のお父さんだよ」
「ほんならわしらのオジイじゃな?」
「そういうことだね」
「なあ、なんでお父ちゃん、オジイが呼びよんのになんもいわんの?」
「お父さんは君たちと朝から晩までずっと一緒にいるだろ」
「うん」
「だからずっと大学行ってないんだよ。無断で休んでたから多分怒ってるんだろうな。お父さん大学行ってないことお爺ちゃんとお婆ちゃんには内緒にしてたからね。多分凄く怒ってるんだと思うよ」
「お父ちゃん、怒られるん?」
「多分ね。怒られるの嫌だから、お爺ちゃんには逢いたくないんだ」
加藤の両親は不気味な物音に怯えながらも、耳を澄まして部屋の中の様子を伺っていた。
「おい、部屋の中は人の気配がないのに、でも何かいるようだぞ。おまえも今の音聞こえただろ?」
不可解な物音に驚き、父親は妻に訊ねた。
「ガサガサッ! って何かが動く音でしょ」
母親も声を震わせて言った。
「呼び掛けても返事がないけど、本当にここにいたのか?」
父親は小声で妻に訊ねた。
「ええ」
「今度はおまえが呼び掛けてみて?」
そう言うと父親は妻の背後に下がって、妻越しに部屋の中を覗き込んだ。
「健ちゃーん! お母さんよ。お願いだから顔を見せてぇ」
ガサガサガサガサガサッ!
スーッ、スーッ!
「お父ちゃん、またオバアが呼びよるで!」
「うん」
「オバアも怒っとん?」
「わからないけど」
「怒っとんかどうか訊いてみたら?」
「あ、でも、多分、怒ってるよ」
「健ちゃーん! 大学の先輩から電話があってね、今から皆で佐田岬に行くの。あなたも一緒に行くのよ、だから出てらっしゃい」
ガサガサガサガサガサッ!
スーッ、スーッ!
「お父ちゃん、佐田岬いうて何なん?」
「君たちが昔住んでた村があるとこだよ」
「オバアが行くいいよるけど、お父ちゃんも行くんか?」
「いいや。僕は行きたくないな。だって皆も行きたくないだろ?」
「うん。あそこには行きともない!」
子供たちが悲痛の叫び声を上げた瞬間、加藤の目に強い光が射した。
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