横山を拾って武道館までの道のりは僅かだった。駐車場に車を停めたところで、佐々木は後部座席に移り仮眠を取りはじめた。待ち合わせの五時まではまだ一時間以上あった。佐々木に代わり、井上が運転席に就き、空いた助手席に横山が乗り込んだ。
ほどなくして車内に佐々木の鼾が聞こえてきた。井上は横山とこれから向かう無枯村について話しはじめた。10月半ばの午前4時はまだまだ夜だった。朝日が昇る気配はない。
「石を戻しに行った連中って、無事に村まで辿り着けたと思うか?」
タバコの煙を吹かしながら、井上は横山に訊ねた。横山は怪訝な面持ちで井上を見た。
「行けたんじゃないか? 行くことは行ったけど、でも…」
誰にも部員たちが無事に無枯村まで辿り着けたという確証はなかった。
「俺はそうじゃないと思うな」
確証はなかったものの、井上には部員たちが誰一人として無枯村の地を踏めなかったような気がしてならなかった。
「何故?」
訊ねる横山の顔には緊張感が見えた。
「風呂屋でのこと憶えてるだろ?」
「子供たちとの約束か?」
「いやちがう。子供たちのいったこと、祓橋から向こうには行けないってやつだよ」
「ああ、憶えてるけどそれが何か?」
「写真を現像したときにはもう祟りに皆遇ってただろ」
「うーん、まあなぁ」
「でも、それって現像したときに祟りに遇ったわけじゃないだろ」
「いわれてみれば確かにそうだなぁ」
「あれは写真に撮られた瞬間に全員あの亡霊たちの罠に掛けられてた。そうだろ?」
「そうかもしれん」
「俺たちは民宿のおやじの善意によって祟りに遇わなくて済んだ。足に憑いた亡霊を祓うことで」
「足に巻き付いたロープか」
横山は子供たちと一緒に写っている写真を思い出していた。
「おまえの写真も佐々木のようになってただろ?」
「ああ。思い出すのも嫌だね!」
井上はタバコを小さく振り、タバコの先で赤い火が尾を引いて線を描いた。
「子供たちの足首にしっかりと巻き付けられていたロープなんだけどな。俺はあの写真を見たとき地面から這い出した腕が結ぼうとしているのだとばかり思ってた。でも、よくよく考えてみればそうじゃなかったのかもしれん」
「解いてくれたってのか?」
「そうじゃないよ」
井上の話に、再び変化した写真を思い描いた横山は静かに井上の次の言葉を待った。
「写真を写したときにはおまえも佐々木もしっかりと、子供たちとロープで結ばれてたんだよ。絶対に解けないようにな」
「でも足を禊川で洗ったことでその結んだロープが解けたんだろ?」
「ああ」
「写真に写った地面から這いだした腕、あれって昨日護摩を炊いてるときに写真から出てきた腕だよな?」
横山はもう二度と思い出したくないおぞましい光景を意図的に思い出さされた。横山は瞼を固く閉じて、頭を左右に激しく振ってその光景を記憶から振り掃おうとした。
「知らないうちに幽霊たちにロープで足首を繋がれていたかと思うとゾッとするよ」
横山は首を左右に振って汚れを祓い落とすような仕種をした。
「地面から伸びた腕は、あれって坊さんは死んだ子供たちの親だっていっただろ?」
その話はもうこりごりの横山に構わず井上は尚もつづけた。
「ああ」
横山は露骨に嫌な態度で応えた。
「親は亡くなった子供たちを、村から連れ出してもらいたかったんだろうなぁ…」
井上は僧侶の話を思い出して言った。横山は風呂屋での子供たちと交わした会話を思い出していた。
「あのとき水野が親に連れていってもらえっていったけど、子供たちはそれを無視して俺たちに連れてってもらいたいって凄くお願いしてたもんなぁ」
横山には鮮明に松山行きを冀う子供たちの顔が思い出されていた。横山はそのいたいけな子供たちの姿に心を打たれ、ついついできもしない約束をしてしまったことを後悔していた。
「親の亡霊たちも俺たちに頼んでたんだよ。だからあの日の晩に、俺たちの部屋に挨拶にきたんじゃないか?」
井上は仄めかした。
俺たちの部屋には何も出なかった。足だけのお化けが出たのは、あの部屋以外。井上の憶測が正しいのかもな。
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