「水野が夜中にあの部屋の窓を誰かが凄い勢いて叩いてたってやつか?」
「ああ。その、窓を叩いてた腕が写真の腕と同じ、つまり親の幽霊だったんじゃないかと思ったんだけど、どう思う? 護摩を焚いてるとき、おまえも殺してやろうかって聞こえただろ。そして住職は殺された。あれは俺たちに子供を亡くした親の気持ちを、あのお爺さんの坊主に語らせるためにやったんじゃないかなあって思ったんだけど。考え過ぎ?」
井上は意気なり口調を軽快に変えて訊ねた。突然の井上の変わり様に、一瞬横山はたじろいだが、要するにただ井上の長い長い憶測の是非を問いたかっただけだということがわかると、急に心を締めつけていた物がどこかに消えていくのを覚えてホッと胸を撫で下ろした。
「そうなんじゃない? あ、ところで部員たちの家族はちゃんと皆連れ出せたかなぁ?」
横山はもう慎重に応えなかった。
「我が子を救うために何があろうと連れてくるだろうよ」
「写真を禊川に流して、奇怪しくなった連中の足を清めればそれで済むと思うか?」
「わからん。さっきの話だけどな。俺が連中は村には入れなかったと思ったのは、加藤の話だと奇怪しくなった友達の周りには子供たちがいたって話だ。恐らく始終子供たちの亡霊は自分たちを村から連れ出してくれた人に纏わりついているはず。子供たちは村には絶対に帰りたくない。多分、子供たちは部員たちが村に入るのを妨害したんじゃないかと思うんだ」
「どうやって?」
「さあな…? 写真を子供たちと一緒に写した者で、帰りにあの川で足を清めなかったヤツは、どういうわけかその一緒に写した子供たちの親になってしまうんじゃないかな? もしもおまえが親だとしてだなぁ、子供が行きたくないってだだをこねたらどうだ? 子供といっても一人や二人じゃないよ。大勢が口やかましく、嫌だ! 嫌だ! と連発したら、親は諦めるんじゃないか? どう思う?」
「まあなぁ…。多分おまえがいうように諦めて行かないかもな」
話はそれで終わり、二人は五時まで仮眠を取ることにした。井上はシートを少し倒して靴を脱いで足を伸ばした。すぐに夢の世界へと落ちて行った。
それにしてもこの家、ほんと汚ねぇよな! 誰も掃除しないのかなぁ?
井上は夢の中で、先刻夢で見た同じ場面に出くわしていた。ぼろぼろの廃屋、窓ガラスは割れて壁や柱は湿気を帯び、床の至る所に泥が溜まっている。
こりゃあひでぇ! まるで土砂が押し寄せたみたいだ。この家の人は無事に逃げられたんだろうか? それとも土砂に押し流されてしまったのか? どっちにしても兎に角このドブ臭い匂いをどうにかしてもらいてぇな! ところで俺はさっきまでどこにいたんだっけ? 思い出せん! でもここには二階に通じる階段があったはずじゃあ?
夢の中で井上はまだ自分が夢の世界に迷い込んだことに気づいていなかった。井上は再び見た同じ夢の中でも、階段があるはずの土間と家との仕切りのところに立っていた。
さっきはここまでひどく汚れてなかったのに、こりゃどう考えても土砂に襲われた後だな。ドブの匂いに紛れて生き物の腐った匂いもする。土砂と一緒に魚も大量に流されてきたんだな。
井上は薄暗い廃屋で独りぶつぶつ文句を言いながら、明かりを求めて歩いた。すると今朝見た夢と同じく土間の入口から、不意に微かな外の明かりが曇りガラス越しに射し込んできたのに気づいた。
ああ、そうだ! そうだ! あそこに入口があったんだ。確かさっきはあそこに誰かが立ってたんだ。でも今度はガラス越しに人影は見えないけど、どこに行ったんだ?
井上は不審な人影があったことを思い出すと、ゆっくり足音を忍ばせて猫足で泥塗れの土間を渡って入口のドアに近づいて行った。
さっきはなんであんなにドアを開けるのが怖かったんだろ? 今は全然怖くない。なんか今度はさっきとちがって、家の中にいるほうが気持ち悪い。
井上は入口の割れた窓ガラスに注意を払いながら、ドアに手を伸ばしてゆっくり開いていった。
ガリッ! ガリガリガリ!
ドアは敷居に詰まった砂や小石でなかなか開いてはくれなかったが、なんとか大人が一人通れる隙間を開けることができた。井上は辺りに注意を払いながら、開いたドアから顔を突き出して外の様子を伺った。
結構、暗いなぁ。
外は思いの外薄暗かった。井上は外に人の気配がないことを確認すると、出たいという衝動に駆られた。それは単純に暗くて薄気味悪い廃屋にいることが恐かったからだった。
井上は開けたドアの隙間に上体を潜らせて、表に一歩を降ろそうとした。しかし、次ぎの瞬間、誰かに強い力で後ろ足を引っ張られた。井上はて勢いよくその場に倒れ込み、激しく額を敷居にぶつけた。
「痛えっ!」
叫び声は一瞬で消えた。井上の心臓は足を掴まれたことで縮み上がっていた。腫れて激痛が走る額に手を当てながら、まだ掴まれた感触のある足先に恐る恐る目をやった。すると佐々木らしき男が土間に倒れて、足首をしっかり掴んでいた。
「あれっ! 佐々木だったのか! おまえ何してんだよ? よかったぁ! 俺はてっきり幽霊に足を引っ張られたのかと思ったぜ!」
額を押さえながら井上は体制を整えて、うつ伏せに倒れ込んだ佐々木に訊ねた。
「はふへへふへぇ!」
佐々木が呻くような声で何かを言ったが、何を言っているのか聞き取れなかった。
「え? 何だって?」
井上は激しく打ちつけた額を労りながら、倒れた佐々木を足で揺さぶった。
「おはひぇひゃひゃ、みんひゃほ、ふふひぇひゅひゃひょ!」
顔を伏せた佐々木が一瞬強く足を握ったかと思うと、手を解いた。井上は解放された足に痛みを覚えながらも、うつ伏せたまま息が上手くできなくて苦しんでいる佐々木を仰向けにひっくり返して楽にしてやろうと思い、腕を引っ張って反転させようとした。
「せーのっ! エイシャ!」
ギィヤー!
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