仰向けになった佐々木の顔を見た瞬間、井上はあまりに凄まじいその形相に驚き、目を背ける前に悲鳴を上げた。その場に尻餅をつき、震えながら後退りした。見るもおぞましい顔が井上を見ていた。佐々木には唇がなく、鼻もなかった。目はあったものの、左の眼球は飛び出してぶらぶら泥に浸かりながら振り子のように揺らいでいた。皮膚は顎から目の下あたりまで剥げてだらりと垂れ、皮膚の下の筋肉の所々が抉れて骨が見えていた。目、鼻、口がないのっぺら坊のほうがまだましだった。
「ど、どうしたんだっ! 佐々木っ !な、何があったんだ!」
救いを求めて手を伸ばす佐々木を、井上は尻込みして力一杯蹴って遠避けようとした。動悸は異常な速度で打っていた。その音は辺り一面に響き渡りそうなくらいだった。井上は心の中で叫んだ。
心臓はこのまま爆発するつもりなのか! さっきから俺に警告を発している。爆発するならいっそ早いほうがいい! さっさとやってくれ! 俺は佐々木のようになるのは嫌だ! 一体どうなってんだ! 何が、何が起こったんだぁっ!
「おひぇひょ、はふひぇひぇ、はひゃひゅ、ほほはひゃひひぇひぇふひぇ!」
「お、おい! 佐々木ぃっ! 何がいいたいんだよ! 全然わかんねぇよ! 口もないのに、もうしゃべんないでくれよ!」
土間に倒れ込む佐々木の足に太いロープが巻き付けられていた。ロープは蛇行して弛み、廃屋の奥の暗闇につづいていた。
どういうことだ!
「何でロープが足に!」
震えながら井上はロープを見ていた。すると突然、ロープがまるで生き物のように動きはじめた。井上は恐怖のあまり完全に固まってしまった。
「う、嘘だろ」
井上の目は今まで弛んでいたはずのロープが、手繰り寄せられるかのように次第にピンと張っていく様子をつぶさに見ていた。そしてじわりじわりと佐々木が引きずられていった。
だ、誰かがロープを引っ張ってる!
井上は廃屋の奥へと手繰り寄せられていく佐々木の腕を掴み取り、奥に引き擦り込まれないように力の限り引っ張った。
「クッソー! 佐々木ぃ! 絶対に助けてやるからなっ!」
井上は力の限り佐々木の腕を引っ張った。しかし、佐々木の足に巻き付いたロープは、懸命に食いしばる井上諸共引き擦るほどの強い力だった。井上は敷居に腕を伸ばして指を引っかけた。次の瞬間、
ブチンッ!
ズルズルッ! シュルシュルシュルシュルシュルー!
何かが引き裂ける激しい音が聞こえたかと思うと、井上の身体は前方に弾き飛ばされた。身体全身を入口のドアに激しく打ちつけ、井上はその場にうずくまった。井上の目には佐々木の足に巻き付いていた太いロープが、凄い勢いで廃屋の奥に波打つように吸い込まれていくのが見えた。まるで蛇が薮の中に姿を消すときのような早さだった。
「や、やった。やったぞ! 助かった! 佐々木、助かったぞ! 俺たち勝ったんだよ!」
井上は嬉しさのあまり子供のように大きな声を上げ、佐々木を激しく揺さぶった。
「うぅ」
佐々木は苦しそうに唸り声を漏らした。井上は不気味な廃屋から早く逃げ出そうと、身体の痛みを堪えて佐々木を肩に担いで出ようとした。そのとき佐々木の足元から何かどす黒い液体が垂れ落ちているのが見えた。
ボタッ! ポタポタポタポタポタッ!
何だろう?
井上は不審に思い佐々木の足元を見た。
「な、ない! 佐々木の足が、足首から先がない!」
さては、さっきの何かが千切れるような鈍い音、あれは佐々木の足が引き千切られた音だったのかぁっ!
「な、何なんだっ! ここは一体、何なんだよぉっ!」
井上はありったけの声を出して叫んだ。
「うわーっ!ビックリー! 驚かすなよ!」
井上は耳元で鳴った大きな音で目を覚ました。すると隣で横山が仰々しく驚いているのに気づいた。
「なんだ、おまえか…、ビックリさせんなよ」
井上は悪夢を解いてくれた大きな音の正体が、横山の叫び声だとわかりホッとした。
「はぁ? ふざけんな! おい! おまえらが二人同時にデカイ声出して目を覚ましたんじゃねぇか! 俺は、その声にビックリして、それで目を覚ましたんじゃない」
横山が意気なり凄い剣幕で怒りはじめた。井上は思った。
俺はてっきり横山の叫んだ声で目が覚めたと思ったけど、俺と佐々木の声で目を覚ましたなんて妙だ?
井上は奇妙な三人の目覚めを不思議に思いながら、後部座席の佐々木を見た。すると佐々木は油汗を額から滝のように流して、ブルブル震えていた。
コイツも相当恐い夢を見たようだな。
そのとき、
トゥルルルルルッ、トゥルルルルルッ!
「携帯鳴ってるぞ!」
不機嫌な横山が無愛想に言った。鳴ったのは井上の携帯電話だった。井上は夢のことを忘れ、冷静さを繕って電話に出た。井上は丁寧に対応して電話を切った。
「誰から?」
横山の無愛想な声が車内に轟いた。
「加藤のお母さん。武道館の傍まできたってよ」
「ええっ、マジでっ! 早えな!」
横山が自分の携帯電話のディスプレーを見つめて驚いた。時刻は四時二四分だった。
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