「よーしっ! それでもう大丈夫だ! 流されてもこの紐がちゃんと助けてくれるからね!」
「皆んなの足に結び付けた紐を観音様がちゃんと引っ寄せて下さるから大丈夫だよ!」
「もう少しで楽になれるよ。後もう少し! 観音様が皆を探してるよ!」
「これから観音様のおられるところに皆で行くんだよ。もうこれで皆、楽になれるんだ」
「苦しかったあの村には戻らないからね。皆はお父さんと一緒に観音様のお導きで向こう岸に渡るんだから!」
加藤は子供たちにいつものように優しく語りかけていた。しかし、両親には息子の周りに救いを求めて縋り付く子供たちの姿は見えなかった。加藤と同じように他の部員たちも皆土砂に押しつぶされる幻影に悲鳴を上げていた。加藤の車の後につづいた向井の車中でも、向井は土砂の中でもがき苦しむ子供たちを懸命に励ましつづけていた。
〈お母ちゃん! わしの手ぇ、放さんといてよ!〉
「大丈夫、絶対に放さないわ!」
〈私の手ぇも放さんといてよ!〉
「絶対に放さないわ!」
〈なあ、お父ちゃんはどこにおるん? いつになったら助けにきてくれるん?〉
「お父さんはすぐ近くにいるの。ほんとすぐ近くよ」
〈お母ちゃん! す、砂がきた! 流されるぅ!〉
「頑張るのよ! これを、この紐で皆の足首を繋ぐの! 強く、しっかり、解けないように縛るのよ! さあ、早く、皆、急いで!」
向井の横に座っていた母親は娘の言葉に急いで紐を探した。
「ひ、紐ってどこにあるの? ど、どこに?」
母親は後部座席を隈なく探した。しかし娘が言うような紐を見つけることはできなかった。
「皆、結んだわね!」
〈うん!〉
「結んだこの紐の端を観音様とお父さんに引っ張って頂くの!」
〈観音様は助けてくれるん?〉
〈この前はいつまで待っても観音様は出てこんかった〉
〈ほんとに今度は助けてくれるん?〉
「大丈夫よ。今度はお父さんも一緒だから。必ずお父さんが観音様の許へ皆を連れていって下さるわ!」
後続する車の中で様々な異常事態が起こっているとも知らず、井上たちはどんどん暗闇に入って行った。
トゥルルルッ!
「はい」
横山の携帯が鳴った。応対する内にその声は次第に弱々しく暗く変化した。
「どうした?」
井上は横山の深刻な表情に嫌な予感を覚えた。
「大沢が急にわけのわからんことを言い出してもがきはじめたそうだ」
「やっぱ、村に近づいたからだな」
「息ができないとか、流されるって、苦しそうに叫んでるそうだから清められることを恐れてんだろ」
トゥルルルッ!
再び横山の携帯が鳴り、それをきっかけに次々に三人の携帯が矢継ぎ早に鳴りだした。
「どういうことだろう? 皆なんで土に埋もれるようなことを叫んでるんだ?」
横山が首を傾げて呟いた。
「観音様っていわなかったか?」
井上は二人に訊ねた。
「ああ、皆いってる。観音様って何だ?」
佐々木が首を傾げた。
「観音様に紐を引っ張ってもらうって、どういうことだろう?」
横山が二人に訊ねた。
「観音様って、無枯荘に安置されてるやつのことをいってんのかなぁ?」
井上は二人に訊ねた。
「うん。多分そうだ」
佐々木が確信を抱いたような口調で言った。
「観音様に紐を引っ張ってもらう。助けてもらう。紐を引っ張ってもらってここから出してもらう。ここってどこだ? 無枯村のことか? それともこの今の状況のことか?」
井上は首を傾げて薄暗い山道を凝視した。曲がりくねった細い山道をじっと見ている内に、段々白く浮き上がって見えはじめた。浮き上がった曲線がある物に思えた途端、井上の全身の体毛が一斉に逆立った。。
これは、あのときのロープ!
井上は白く浮き上がって見える曲がりくねった山道に、夢で見た佐々木の足に巻き付いていた太いロープを思い出した。
観音様に引っ張ってもらう紐って、まさか佐々木の足に巻き付いていたあのロープのことじゃあ!
不意に浮かんだ推測を否定するかのように、井上は頭を左右に大きく揺さぶった。
まさかなっ! 気味が悪くて想像したくもないけど、夢の中で佐々木をロープで手繰り寄せてたのが、あの民宿の二階に安置されてた観音様だなんて、そんなのなしだぜ!
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